福建土楼を訪ねて1

2003年くらいから課題になっていた場所がある。
福建省南西部などにある、客家が築いた土造の集合住宅土楼である。

客家は漢民族の一支系で、戦乱を逃れて中国北部から南部に移住してきた人々の末裔である。移住民である客家は、まだ、開拓の進んでいない土地を選択せざるを得ず、その結果、山間部に居住することになったと考えられており、彼ら客家の築いた土楼が山間部に多く分布している。

山間部には猛獣も多く生息しており、山賊の拠点も多かった。また、耕地にできる土地も限られていた。そのため、一族が団結して、危険から身を守り、そして、生活を維持していくため、堅牢で巨大な土楼を築き、そこに集住したそうである。

さて、どのようなルートで福建に入るか。成田からアモイまで直行便で飛び、そこから土楼の集中する地域へ向かうという選択肢もあるが、帰りに香港に寄って夜景を見てきたい。ということで、行きは広州まで飛んで、帰りは香港から帰ってくるというルートを選択。

4月某日早朝、リムジンバスで成田空港へ。
空港の売店でキンチョーの携帯蚊取りのカトリスのカートリッジを購入。これから向かう福建省は既に蚊のシーズンになっているかもしれないので、その辺の手抜かりはなしにということである。ちなみに、2011年はカトリスのカートリッジが手に入りにくかった。震災の影響で生産が止まっていたのだろうか?

定刻通り9時35分に出発した飛行機は、12時半ころ広州白雲空港に到着。

入国後すぐに1万円を両替したが、647元であった。かなり悪いレートである。70元くらい手数料を取られた計算になる。以前の中国旅行での使い残しが400元あり、あわせて1000元以上あるので、この時点では、この先、もう両替の必要はないだろうと考えていたが、それは甘い判断だった。

両替後、国内線への乗り継ぎの表示にしたがって進むと、チェックインのカウンターがあり、そこで手続きを済ませて、さらにセキュリティチェックを抜けると、10人くらいは乗れる電気自動車が待機していた。どうやら、国内線ターミナルまでは、これで移動するようだ。

中国人客が係員に質問していたのでわかったのだが、国内線ターミナルまでは300メートル以上あるよう(中国語に堪能なわけではなく、数字だけはわかるので)。歩いても移動できるのかなと思ったが、電気自動車が出発すると、それ専用と思われる立派な通路が続いていた。

4月とはいえ、さすが南国、広州の地はかなり気温があがっているようで、雨のせいもあって、蒸し蒸しするなか、電気自動車で風を切ってすすむのはなかなか気持ちのよいものだった。

15時45分発のアモイ行きは、やや遅れて16時20分ころ出発し、17時10分着陸。

『地球の歩き方』によれば、空港からアモイ市内へは、タクシーしかないということだったが、乗り合いのシャトルバス(ミニバス)が出ており、10元でアモイ駅まで運んでくれた(タクシーだと40~50元)。

所用30分でアモイ駅前到着。ここから、今日のホテルまで歩く。ホテルは明日の移動を考えて、湖浜バスターミナルの近くにとってある。地図をみると2キロあるかないかの距離で、初めての街の雰囲気を感じながら歩くには調度良い距離だと思っていた。

ところが、歩いても歩いても、ホテルのある通りにはぶつからず、ホテルまで40分くらいかかってしまった。こんなことならば、空港からタクシーをつかうべきだった。

予約しておいたホテルは、最近中国で増えているという経済的ホテルチェーンの一つ。ホテル予約サイトで予約していったが、クレジットカード払い不可のホテルで、予約時には、一切の支払いが発生しない。

1泊215元。ホテルにレストランはなく、朝食もホテルではとれない。ただし、中国は朝食を外食でというのは普通のことなので、中国人ビジネス客にとっては何の不都合もないシステムである。自分としては、腹ごしらえをしたうえで、さあ出発と行きたいところではあるが。


2日目は朝から雨だった。8時前にはホテルを出て、湖浜バスターミナルから土楼観光の拠点、洪坑の永定土楼民俗村へ向かう。

★(さんずいに章の字)州を通過して、山間に入っていくと、ところどころに見えてきました土楼が。それとならんで、「土楼観光中心」とかいう、日本で言う道の駅というか、巨大な団体観光客用の施設も。2008年の世界遺産登録以来、観光客、とくに豊かになった中国の観光客の増加が著しいのだと思われる。

12時30分ころ土楼到着。ここも雨だった。
バスを降りたのは、僕と中国人(香港人?)のカップルの3人。さっそく客引きらしきおじさんがやってきて、中国語で色々と話しかけてくる。たが、僕は中国語がわからないので、なんの客引きなのかわからない。幸い、そのカップルの男性が英語を話せて、客引きは「今日は泊りか?」と聞いているという、「土楼に泊りたいか?」「普通の部屋に泊りたいか?」とも。

土楼に泊れるならば、泊ってみたい気もするが、どんなところかわからないと決められないので、部屋を見せて欲しいというと、バスを降りたところから川を渡ったところにある、環興楼という土楼に案内された。案内してくれた男性はほんの少し英語を話し、「この土楼に住んでいる」とのことだった。土楼の4階まであがり、部屋を見せてもらった、薄暗い部屋にベッドが一台おいてあるだけで、観光客用に改装した部屋ではなかった。それはそれでなかなかよいが、「トイレは?」と尋ねると、小は部屋の前にある桶にしろとジェスチャー付きで説明する。まあ、土楼の住人は下の方の階に住んでいるようだし、客は自分だけだから、「小」だけならば問題はない。「大は?」と聞くと、外だという。中国では昔から、集合住宅にはトイレがなくて、外にある公衆トイレを使うという生活が一般的で、そうした時代から中国旅行をしているので、ニイハオトイレ(個室になっていないトイレで、用をたしている最中に他の人が入ってきたら、必然的に顔をあわせることになるので、旅行者はニイハオトイレと呼んだりする)には慣れているといえば慣れているので、それならばよいかと思ったが、どうも、この土楼の人たちが使うトイレを使わせてもらえないという雰囲気だった。

とりあえず、普通のホテルの部屋も見せてもらおうということで、外に出るとき「トイレは?」と改めて聞くと、川を隔てたところにあるホテルのトイレを使えと言っているらしいことがわかった。大をするため、いちいち川を渡っていかなければならないというのはつらいし、夜になって、そのホテルの入り口に鍵がかけられてしまったらどうするのだ? 腹を壊して、おなかピーピーにならないとも限らない。かなりリスクが高いので、普通の部屋を選択(近年、土楼内のホテルでも、トイレばかりではなく、シャワーまで備えた部屋も作られているようなのである)。

 選択した部屋はさっきの環興楼を望めることのできる部屋で、トイレ・シャワーもついていて1泊120元(食事なし、さっきの土楼の方は1泊50元)。ホテルの名前はバックパッカー・ステーション。中国名は「背包客駅站」。「包」はカバンとかいう意味だと思う。



2日目の朝に撮ったホテルの写真(真ん中が僕の泊ったホテル)。一つの建物に複数のホテルが入っている。



部屋は土楼(環興楼)ビューの部屋だった。さっき案内された土楼はこれ。



 ホテルの1階はレストランになっていて、とりあえず昼食をとった。例によって中国の食事は一人でとるようにはなっていなくて、一皿一皿が巨大。とてもではないが、全部食べきれたものではない。



写真だと皿の大きさがわかりにくいと思うが、4人くらいで分けるとちょうどよいようなサイズ。絶対食べきれなく、もったいない。中国の食文化ではあるが、何とかならないものか。


 昼食後、さっそく土楼観光に出た。しかし、入場料がかかるはずなのに、入場券売り場がみあたらない。どうやら、入場券売り場は、民俗村のはずれにできた巨大駐車場のところにあるようである。とうことで、結局、入場料を払わずに民俗村を歩いた。

 以前訪れた水郷古鎮の一つ西塘も入場券売り場はあるものの、その場所から街中に入っていかないと、入場料なしで入れてしまうシステムだった。どこか建物のなかに入る場合、その場所の入場料が必要になるのだが。一方、土楼の方は、各楼に入るときにチケットチェックはなかった。団体に紛れて入場したため、ノーチェックだったのか、単に一々チェックしないのか、そこのところは不明である。

 民俗村のなかは奇麗な遊歩道が整備されており、みな歩いて観光するシステム。電気自動車が走っているが、見かけたのは村の住人専用のもので無料のようだった。観光客が大勢やってきて生活に影響を受けてその代償として無料の乗り合い電気自動車を走らせているのだろうか。

 平日とはいうものの、観光客が列をなして歩いており、みな中国人であった。ガイドはマイクと小型のアンプ付きスピーカーを持っており、団体客はなにやら色々と説明を受けながら、ぞろぞろと進んでいく。



最小の円楼といわれる如昇楼。



方楼(四角い土楼)の内部。生活臭もあるが、1階部分は基本的には観光客相手の施設(茶店・お土産屋など)










日本の城郭建築を思わせるような建物も。




 土楼のなかには、お土産屋やお茶屋があり、住人の生活はどうなっているのかと思う。

 民俗村を一通り歩いたあと、また、さっきの環興楼へ向かった。
さっきは、ここの住人に連れられて入ったので、もちろん入場料は取られなかったのだが、今度は、入り口のところに立っていたおじさんに「ウー(5)クワイ(元)」を請求されてしまった。

 この土楼は民俗村に隣接しているにもかかわらず、観光ルートからは取り残されており、なかに土産物屋などはもちろん、提灯なども下げられていない。ただ、崩壊が進んでいる感じではある。





やはり上の階にのぼって円形を実感したくなる。



崩壊寸前の場所も。



パラボラアンテナが。土楼での生活もやはり近代化されているのだ。



先ほど案内された客室のあるあたり。きちんとメンテナンスされている。







 土楼観光を終えて、ホテルに戻るとバイクでの南靖の土楼群れの観光に誘われた。しかし、あいにくの雨である。スリップが怖い。それに濡れるだろう。
 スリップがこわいので、足を滑らすジェスチャーをすると「大丈夫、大丈夫」というジェスチャー。雨は?というと、カッパがあるから大丈夫と言っている(らしい)。
 明日、車を雇ってて広範囲にまわろうかとも考えていたが、結局、このバイクタクシーでの観光の誘いに乗ることにした。
 カッパというと、画期的な形をしていおり、穴が二つあいていて、前の穴が運転手用が頭を通すためのもの、後ろの穴が客のためのものである。それぞれ、フードが付いているのだが、走り出すと、向かい風で頭からははずれてしまい意味をなさない。

髪の毛をびしょびしょにしながら走ることしばし、南靖土楼地区の入り口というかチェックポイントに到着。ここでチケット(100元)を購入し、観光ポイントへ向かう。



まずは塔下村というところへ。



裕昌楼。築300年ほどのこの土楼は、円楼としては唯一の5階建て。



すっかり観光地化され、1階はすべてお土産屋。土楼の1階は通常厨房として使用されるようになっているが、ここは、1階の多くの部屋に井戸が備え付けられており、お土産屋は「井戸が無料で見られます」というのをうたい文句に観光客を呼び込んでいる。



柱が傾いている。これは老朽化のせいのようだが、危険ではないのか?



田螺坑の土楼。方楼を中心に4つの円楼が並ぶさまは、花びらのようと言われ、この眺めは福建土楼のなかでもっともよく知られるもの。



下から見上げた田螺坑の土楼。こんな辺鄙なところなのである。


南靖土楼地区の次は、高北土楼群景区へ。ここには土楼王とよばれる承啓楼がある。直径61m
の円楼で、最盛期には600人もの人が暮らしていたという。

ところで、直径61mでもびっくりなのに、これよりも大きい土楼が数多く存在するらしく、是非見に行きたいと思う。



承啓楼と花(何の木かは?)。写真に写っている出入り口は横の出入り口。遊んでいる子供たちはこの土楼の住人か? この土楼は、観光地化されてはいるものの、生活している人も多いように見受けられた。



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