サユーン~アデン

3月7日。前日は念願のシバームを見た。この日はサユーンとサユーン近くのもう一つの見所タリム観光の予定。まず、17世紀から19世紀にかけて、イエメンにおけるスンニ派イスラム教の中心地として栄えたタリムへ向かった。
 タリムは砂埃舞う小さな町だった。ガイドブックに書かれているまま、町の北のはずれにある丘に上ってみた。しかし、ガイドブックにあるように、「かぞえきれないほどのモスクのドームやミナレットが全体に広がっている」という状況は今ひとつ確認できなかった。


タリムの街中。日差しがきつい、砂っぽい砂漠の街である。





街の北の小高い丘からのタリムの眺め。


1時間半くらいタリムの街を歩き、11時少し過ぎにサユーンにもどった。まだ、昼食時には間がある。ということで、サユーンの王宮を見学することにした。


王宮から見たサユーンの街。



王宮を見たあと、王宮の周辺を散歩してみた。小さなスークがあるくらいで、それほど見所があるわけでもないし、何より暑い。早々にエアコン完備のホテルに逃げ帰って昼食をとった(午後は何もせず、ホテルでボーッとすごした)。


3月8日。アデン行きの飛行機は15時発だから、今日もかなり時間がある。しかし、もう見るべきものはない。かなり早いが、11時ころホテルを出て空港に向かった。
 サユーンに到着した際、空港から街までタクシーを使ったが、非常に近かった。十分徒歩圏内ではないか。そう思っていた。なので、時間つぶしもかねて、空港まで歩いていくことにした。しかし、これは失敗であった。やはり暑いのである。

 11時45分ころ空港到着。ゆっくり歩いて45分だったので、まあ、自分にとっては徒歩圏なのだが、すっかり消耗してしまった。おまけに空港の建物には鍵がかかっており、中に入れないではないか。いったいいつになったら入れるのだろうと思っていると、12時10分ころ、空港の職員の人が、待合室に入れてくれた。

 詳しいメモがないのだが、このあとかなりたってから、乗客が集まりだし、そこで空港の建物の鍵があいた。入り口のところに大きなテーブルがあったので、なんなのだろうと思っていたが、建物に入る客の荷物検査用のテーブルだった。ここでカバンを開けて検査をする。かなりいい加減な感じだ。エックス線検査の設備はなかった。しかも、僕はノーチェックだった。こんなずさんなことでいいのだろうか?

 一足さきに建物に入っていた僕は、混雑に巻き込まれることなく、チェックインをすませ、搭乗待合室に移った(と書いたものの、搭乗待合室が別にあったかどうかの記憶が定かではない)。

 日本人の乗客は自分一人のようだったが、そのうち何人かの中国人風の客がやってきた。日本人かとも思ったが、彼らの手にはお茶を飲むための蓋つきの瓶が。。。服装自体も日本人っぽくなかったが、この瓶で中国人であると確信した。中国人は決してといっていいくらいお茶を手放さないのだ。
 彼らはどうやら商用でやってきているらしかった。改革開放の進む中国が積極的に海外ビジネスを行っていることを垣間見る思いだった。

15時、アデン行きの便は定刻どおり出発。15時55分にはアデンに到着した。

空港から市内までの足はタクシーしかなく、ぼったくられるのではと若干不安になったが、何人かの運転手の提示する料金はすべて同じであった。

17時ころ、クレーター地区のホテルにおちつき、18時少し前に、乗り合いタクシーでマッラ地区に行った。小奇麗な感じのする地区だった。

なぜそこへ行ったのかというと、中華料理屋があるからだ。イエメンの中華料理って? こんなところまで華僑が進出しているのか? ということで、どんな味なのか試してみたかった。しかしめざす中華料理屋は休みであった。結局、夕食は、この旅何度目かのシュワルマサンドということになった(シュワルマとは薄切り肉を鉄の棒に重ねて刺しして大きな塊にして、火にあぶって焼けたところから切り落とすという肉料理、中東イスラム圏ならばたいていどこでもみられる)。


夕暮れが迫るアデンのクレーター地区。



3月9日。アデンは旧南イエメンの首都で、天然の良港を持ち、古来東西貿易の拠点として栄え、今もイエメン経済の中心らしいが、クレーター地区はゴミゴミとして何かうらぶれた感じが漂っていた。港の方にも行ってみたが、開店直前のPizza Hatの建物があり、少しは近代的雰囲気もあった。

イギリスによる支配、社会主義政権下で古い建築物は取り壊されたらしく、アデンにはさしたる見ものはないが、紀元前1世紀に作られたという貯水池(通称アデンタンク)、フランスの詩人アルチュール・ランボーが働いていたバルディー商会のあった建物を見に行った。アデンタンクはわざわざ時間をかけて行くほどのものではなかった。一方のランボーハウスも建物そのものはどうということのないものだったが、ランボーという人間には若干の興味を覚えた(この旅で若干の興味を持ったものの、旅を終えて時間が経過するなかで、その興味も薄れ何も調べることなく現在に至っています)。
 

アデンタンク。



ランボーハウス。