アデン~タイズ

3月9日(続き)。ランボーハウスを出たあと、シェイフ・オスマンの乗り合いタクシーステーションに行き、タイズ行きの車をさがした。多くの車でにぎわっていたが、タイズ行きはあっという間に見つかった。
座席が3列のバンタイプの車で、助手席に2人、真ん中の列に4人、後部の列に3人の客を詰め込んで出発した。僕は助手席のドア側にすわったが、車がボロでいつドアが開くかわからないという状態だったので、走っている間じゅうずっとドアを押さえていた。

12時半に出発した車は、途中故障で30分ほど停車したが、タイズは意外と近く、3時頃には到着。

街の中心と思われるところで車を降ろされ、右も左もまったくわからなかったが、適当に歩いているうちにめざすホテルに到着。我ながら良い勘をしている。

タイズは1948年からイエメン革命の起こった1962年まで首都だったところで、イエメン第2の都市だという。山の間に開けた街で坂道が多い。標高は1400mほどで、日差しはきついが暑くはない。


3月10日。この日はまず、国立博物館に行き、その後、旧市街を歩いた。


国立博物館。1962年のイエメン革命までこの地を統治していた王の城を博物館としたもの。



二つの白いミナレットで有名な、アル・アシュラフィア・モスク。



アル・アシュラフィア・モスクの内部。運よく団体(フランス人)に便乗して中を見ることができた。




タイズの街中の露店。



昼食後、いったんホテルに戻った。午後はホテルでボーっとしていてもいいかなあと思った。サナア、シバーム(砂漠の摩天楼)を見ることができたので、あとはどうでもいいという感じだった。しかし、せっかくここまで来たのだから、近郊のアル・ガナットにある由緒があるというモスクに行ってみることにした。

どう行けばよいのかわからなかったので、ホテルのフロントで尋ねたところ、プライベートタクシーで行くしかないとのこと。仕方がないので、ホテルでタクシーの手配を頼み出かけた。


タイズから20kmくらいのところにあるアル・ガナットのモスクのミナレット。



モスクの管理人みたいな人が由緒を説明してくれたが、よく理解できなかった。予想通りチップを要求されたがマンツーマンディフェンスをされているようなもので、逃げ場もないから、少しだけ渡す。



ドライバーは、帰りがけに、アルガナットのモスクのミナレットを振り返られる場所で車をとめくれた。



アル・ガナットからの帰り道、タイズの街が見渡せる場所から一枚。