チェファルー

<10日目(8月25日)>
帰国の途につく日となった。

パレルモ発の飛行機が16時40分なので、どこか観光する余裕がちょっとだけある。それで前日からガイドブックをめくりながらどこへ行こうかと迷っていた。朝になっても決めきれず、結局、「情緒の漂う駅」「荒々しい岩山と対照的なレンガ色の屋根の家々」「岩山からの大パノラマ」などの記述に魅かれてチェファルーへ出かけることにした。

決断が遅かったため、乗ることができたのは10時10分発の列車。チェファルーには11時過ぎに到着するが、14時半にはパレルモに戻り、15時半には飛行場についていたい。ということで、チェファルーでは13時20分発の列車に乗らなければならない。2時間強の時間で、岩山に上り街歩きもしなければならないのでかなり忙しい。



パレルモ駅。




パレルモ駅前(駅側から撮影)。




チェファルー到着。




街歩きは後回しにして、とりあえず岩山に登った。ただの岩山ではなく城砦跡だった。




岩山から望んだチェファルーの街。カッテドラーレ(大聖堂)を中心にガイドブックの記述通り、赤い屋根の家々が並ぶ。これが見られただけでも十分な収穫だと思ったが、街歩きもしたいので急いで岩山を下った。




チェファルーの岩山からの眺め(mp4=4.4Mb)。




岩山を下る途中に撮ったものだと思う。




これも岩山を下る途中撮ったもののはず。




チェファルーの裏道。岩山からおりてきて、振り返って撮ったものか?







カッテドラーレを見上げる。










チェファルー駅を出る列車からの眺め。(mp4=8.6Mb)。注意=途中から風の音がうるさいです



13時20分の列車は大幅に遅れ、結局は14時03分チェファルー始発の列車でパレルモにもどることになった。パレルモ着は15時少し前で、15時発の空港バスをつかまえられる可能性は極めて低い。次のバスは15時半だが、空港まで順調に走ってくれれば16時10分くらいには着くはずだから、搭乗手続きは問題ないだろう。

パレルモ駅に着いた僕は、ホテルまで走り、預けておいた荷物を受け取ったあと、また走って駅前の空港バス乗り場へ向かった。客が乗り込む際に、いろいろともたついて出発が遅れることがありそうだったからだ。しかし、バスは定刻通り出発したようで、15時を2~3分回ったころのバス停についたのだが、バスは陰も形もなかった。

さて、あと30分待つか、タクシーに乗るかだが、鉄道が空港に乗り入れていることに気がついた。駅まで走っていくが、駅の電光掲示板には「空港」を示す文字が見えない。空港が「PUNTA RAISI」という場所で、駅名も「PUNTA RAISI」であることに気がついたのが15時10分、ちょうど列車が出発するところで乗車は無理だった。

残る選択肢はタクシーとバスだが、ローマ発の便が遅いので、最悪2便後のローマ行きの便の乗れればよく、幸いパレルモ-ローマのチケットはノーマルチケットなので変更は容易だろう。ということで、15時半のバスを待つことにした。

15時半のバスはほとんど15時半ちょうどにやってきて、さらに出発する段階になって客が駆け込んできたため、5分くらい遅れての出発となった。30分前のバスが同じ状況なら乗れていたのにと思う。

空港には16時20分ころ到着。チェックイン・カウンターに駆け込んで航空券を差し出すと、一言「遅すぎる」と言われてしまった。しかし、搭乗手続きは無事終了。

搭乗便は満席で、もしこれに乗れなかっったら、空席待ちをかけなければならかっただろうから、けっこうピンチだったのかもしれない。


<11日目(8月26日)>
成田に到着したのは昼頃だったろうか?

普通ならば自宅がある都内に向かうのだが、この日は旅の疲れをおして、水戸・勝田方面行きのバスに乗った。この夜、ひたちなか市にある笠松競技場で開催されるJ2リーグの水戸ホーリーホック対コンサドーレ札幌の試合で札幌を応援するためである。

成田空港からのバスは水郷地帯・霞ヶ浦(北浦だったか?)を抜け走って行った。

乗客は少なかったが、そのなかにずっと鼻歌を歌っている年配の男性がいた。何の曲かと思ってよく聞いてみると、韓流ドラマ「冬のソナタ」の主題歌だった。

勝田駅前でバスを降り、路線バスだったか、それともサッカー開催時に運行されるシャトルバスだったかに乗り、笠松競技場まで移動。

スタジアムに着くといつもの見慣れた顔がたくさん。

バックパックを背負っていたので「どこから?」と聞かれた。

「イタリア・チュニジア旅行からさっき戻ってきたところで、成田からここに直行」と答えると、驚かれた。

しかし、無理して行ったかいもなく、試合は0-1で札幌の敗戦(スコアなど細かいことは忘れていたが、ネットで調べてみるとオウンゴールで失点していた)。

常磐線特急・山手線・私鉄を乗り継ぎ、へとへとになって東京の自宅にたどりつき旅行を終えた。


終わり。