<目次>
 1.大連-哈爾浜(ハルビン)(このページ)
 2.哈爾浜(ハルビン)-牙克石(ヤクシ)-加格達奇(ジャグダチ)-瀋陽
 3.瀋陽(1)
 4.瀋陽(2)
 5.北京
 

  大連~哈爾浜(ハルビン)

今年(2017年)の5~6月ころだったか、NHKのBSで10年前に放送された関口知宏の中国鉄道大紀行・日めくり版が再放送されたが、それを見ていると無性に中国を鉄道で旅したくなった。

僕が中国旅行を始めたころ(1980年代後半)、中国では鉄道チケットの確保は非常に難しかった。オンライン化はもちろん行われておらず、発売されるのも、その列車が出発する4日前(3日前だったか?)からで、前もってチケットを確保して旅程を確定することは困難だった。唯一、事前に旅程を確定する方法は、中国国際旅行社という国営企業に希望を出しておくという方法だった(日本を出る前に確保したければ、日本の旅行会社を通じて予約するという方法があったが高額な手数料が必要だった)。しかし、旅行会社を通せば確実に希望の列車の寝台券・指定券が手に入るかといえば、その保障はなかった。

駅の窓口に並んで切符を買うというのは困難を極めた。移動する人の多さに対して、運転されている列車の絶対数が足りていないので、客が殺到する。そして、窓口の前は列があってなきがごとしで、その場所に足を踏み入れた瞬間絶望するしかなかった。また、地方の小さい駅では、混雑はたいしたことはなかったが、切符の多くは始発駅に割り当てられ、ごく少数しか割り当てられない途中駅での購入はほぼ無理。

長い旅をしている場合、ある大き目の街に着いたらまず、そこの国際旅行社にいって鉄道チケットの予約を行い(5~6日前くらいに申し込むと買えることが多かったと思う)、その街や近辺を旅して、その後,確保したチケットで移動というパターンをとるのが普通だった。

ただ、2~3日後に移動するという場合は、ほぼ駅で買うしか方法はなく、窓口に並んでも指定券・寝台券の確保は難しく、買えるのは「無座」のチケット。

「無座」とは文字通り「無座」で、その列車に乗車できても席がないのである。指定券を持っている客が来るまでは座ることはできるが、「無座」の客がたくさんいるので、乗車早々壮絶な席取り合戦となる。指定券を持っている客が席におさまると、「無座」の客は、通路にすわる。夜行列車の場合、席の下にも寝るということになる。(ゴールデンウイークや年末年始の列車の混雑の比ではなく、おまけに客たちが休みなく食べるヒマワリの種のかす、果物の皮とかが床に捨てられるのでますますひどい状態。)

僕がこの夏の旅の前、最後に中国で長距離の鉄道に乗ったは1994年の上海-北京間。このときは上海にある鉄路局直営のホテルで比較的容易に寝台券を入手することができたが、中国の鉄道チケットの確保の困難さが大きく改善されていたわけではなかったと思う。

前置きが長くなった。上述のテレビ番組を見て、久しぶりで中国内を鉄道で動きたいと思った。幸い、中国でも、その後、もちろん発券のオンライン化が進み、今ではC-TRIPという旅行会社のサイトを利用して簡単にネットでチケットが購入できるようになっており鉄道旅行が格段に容易になっている。

それで、どこへ行くかだが、何となく草原を眺めながら列車に揺られたいと思ったので、内蒙古自治区へ行くことに決定。さらに、前述のテレビ番組の東北地方の旅がローカル線の旅っぽい感じで、印象に残ったので、内蒙古自治区・黒竜江省・吉林省・遼寧省あたりを回ろうというこうと計画をねった。

まず、大連イン、北京アウトの航空券を確保。さらに、大連からロシアとの国境に近いハイラルというところまで飛ぶことに。ハイラルまで行けば、ちょっとだけ草原ツアーっぽいものができそうだったので。

ところが、大連-ハイラルの便は購入してわずか数日で運航中止になってしまったので、ハイラルの草原ツアーはあきらめ、大連-ハルビン-牙克石(ヤクシ)-加格達奇(ジャグダチ)-ハルビン-瀋陽-北京と移動するルートに決定。旅行日数が限られているので、都市観光はハルビン、瀋陽、北京のみということになった。


<1日目>
8月の末の某日、まず、成田9時30分発のJAL便で大連へ。
11時半すぎに大連到着。入国はとてもスムーズで、11時55分ころには地下鉄に乗車し、12時50分ころ大連北に到着。

駅の乗車券売り場で乗車券を引き取る(C-tripでチケットを購入した際、発行される予約番号を切符売り場の窓口で提示すると発券される)。

15時28分のハルビン西行きに乗車(高鉄=中国版新幹線)。

20時10分定刻通りハルビン西駅到着。



大連北駅。中国版新幹線(高鉄-高速鉄道)は在来線とは異なる線路を走り、駅も新駅(の場合が基本?)。



駅の中。広大なスペースは待合室。ここに入る際、セキュリティチェックとチケットチェックがあり、乗車前にもう一度チケットチェックがある。




駅で昼食。




大連の街を眺めながらハルビンへ向けて出発。




色々なタイプの席を試そうということで、日本でいうグリーン車みたいのに乗ってみたところ、おかし・おつまみのセットみたいのをくれた。上の写真はそのなかの一つ(ぶれてしまいました)。右上に「辣」とあり、さらに「吃了噴火(食べたら口から火を噴く)」というすごい表現が。 本当に辛かった。




ハルビン西駅から地下鉄でハルビン中心部へ移動。地下鉄駅を出たところで、西洋風の建物があったので一枚。




<2日目>
今日は、昼間はハルビン市内を歩き、夕方の列車で牙克石に向かうことになっている。

ハルビンは19世紀末まで小さな漁村にすぎなかった。しかし、帝政ロシアが清国から鉄道敷設の権利を獲得し、東清鉄道の敷設を開始して、その拠点としてロシアによって街が建設されたので、他の中国の街とはまったく異なる雰囲気を持っている(1917年のロシア革命後も欧米の企業の支店が続々と設けられた)。


ハルビンの建設の契機となった旧東清鉄道本社の建物を利用したハルビン鉄路局。




地下鉄駅。




適当に歩いていると鉄路局のすぐ近くに展示されている古い車両を発見。これは日本が経営する南満州鉄道が1938年に製造した車両。説明板によると1994年にハルビン鉄路局に配属され、(何かの際の救援列車?の)宿営車として使用されたとか(1998年退役)。説明板が中国語のみなので正確にはわかりません。




説明板によると、1936年川崎重工が製造。1950年代にハルビン鉄路管理局に配属、その後、天津に移り1975年退役。こちらも中国語がよくわからないので不正確です。



その後、鉄路局の近辺を適当に歩いてみたが、初めて中国に行った頃の雰囲気が感じられた。


歩道に無造作に敷かれた生姜。何のため?






アールヌーヴォー様式の家(東清鉄道幹部の官舎だったとか)を利用したカフェ。まだ開店前だったので中には入れませんでした。




ハルビン駅は全面的な建て替え中だった(これは北口)。ここを経由して帝政ロシア時代の雰囲気を残す中央大街へ向かった。





中央大街。こんな建物がたくさん並んでいる。並木の葉がしげって通り全体が見渡せないのが残念。




これも中央大街。




中央大街にあったロシア民芸店。




南北1.5キロにわたって続く中央大街を北に歩き、通り抜けると松花江がある。写真には松花江にかかる鉄橋を列車が走っているところが見える。




再び中央大街にもどり、「露西亜」という名のロシア料理店で昼食(ボルシチを食べました。味は普通-写真はありません)。




石頭道街だったか? アーチがなければサンクトペテルブルクの通りの一つか、という感じ。




聖ソフィア大聖堂。



本日の観光の最後は黒竜江省博物館。パスポートを提示すると入館券をくれる(無料)。



展示物で興味をそそられたのは、渤海の遺物で、これもその一つ。実際のサイズは高さ10センチもなかったか? 何か幼稚園のお遊戯のポーズみたい。




これも渤海の遺物。これもとても小さいものだった。