<目次>
  新疆の精華カシュガルへ(1)…このページ
  新疆の精華カシュガルへ(2)
  灼熱のトルファン・清涼の天池
  嘉峪関で後輩とバッタリ
  敦煌旅遊
  列車が15時間余り遅れる(柳園-北京)



 新疆の精華カシュガルへ(1)

1997年8月31日早朝、僕はパキスタンのギルギットという町に到着し、足かけ11年かかった上海-イスタンブール間の陸路踏破を達成した。とはいっても11年間ずっと旅をしていたわけではなく、何回かの旅で通ったルートをつなげると、中国-パキスタン-イラン-トルコというアジア横断ルートを踏破したことになったというだけなのであるが・・・。

この馬鹿げた旅のスタートは1987年だった。この年の8月8日の午後2時40分ころ、僕は中国新疆ウイグル自治区の区都ウルムチへ向けて上海を飛び立った。

ウルムチには午後8時すぎに着いた。上海を飛び立ってから5時間以上もたっている。でかい国である中国は。しかし、時間は北京時間で統一されているから、まだ真昼だ。



ウルムチ空港。遠くが霞んでいるのは強風で砂塵が舞っていたため。


 ウルムチには着いたものの、その後どうするか決めていなかった。新疆ウイグル自治区のよさはカシュガルまで行かないとわからないともいわれていたが、バスだと3泊4日かかる(昼間走って夜はホテルに泊るのでこんなにかかる。今は寝台バスというのが走っていて、これだと1泊2日くらいで着いてしまうらしい。ただ、ドライバーには交代があるのだろうが、客には交代がないのでこれもきつそう)。飛行機だと1時間半強でいけるが、すんなりチケットを買えるという保障がない。常に乗り物のチケットがない、そんな国だった中国は(今はどうなのだろうか?)。行くべきかどうか迷いながら、ウルムチの街をブラブラした。



ウルムチ市内。オンボロミニバスが走っているが、こういうボロボロのバスが、当時のウルムチ、いや中国では普通に走っていた。それから、遠くまで見渡せるが、現在のウルムチには高層建築が立ち並んでいるそうだから、こんな景色はないのだと思う。



ニ道橋バザールの入り口。87年段階でも、ウルムチはすっかり漢化された都会だったが、そんな中にあって二道橋バザールはウイグルらしい雰囲気をもった場所だった。




バザール内のシシカバブ屋。



当時中国ではビリヤードが大人気だった。

 
 迷っている僕を決断させたのは、その夜ホテルで出会ったカシュガル帰りの日本人旅行者の「絶対行くべき」という一言だった。翌日、朝一で民航のオフィスへ行き、この日の夕方のカシュガル行きの空席の有無を問い合わせた。するとどうだろう、あっさりとチケットが入手できた。取りあえず行くことはできる。しかし、帰りはわからない。何せ当時はまだ、飛行機のチケットの発券はオンライン化されておらず、数字を書いた紙に乗客の名前を書き込んでいくという極めて原始的な発券方式をとっていたのだ。

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