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ゴール裏席(サッカーの)に似た感覚を覚えた国会前デモ

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今はコンサドーレ札幌の応援に行っても、ゴール裏で他のサポーターと一緒に声を出すことはなくなったが、この3ヶ月強の間、何度も行った国会前の戦争法案に反対するデモでは、何となくではあるが、ゴール裏に戻ったような感覚を持つことがあった。

ゴール裏では、目の前にいる選手たちに向けて応援の気持ちをこめてコールする。一方、国会前でのコールは応援のコールではなく、おもには主張していることに関するコールである。国会前という政治的に象徴的な場所において、大人数でコールをすることによって、マスコミに取り上げさせ、運動を可視化するというのが大きな目的であったと思う。しかし、だんだんと政府と対峙する野党を後押しするという性格も帯びてきた。

もともとSEALDs(シールズ)が進める運動は特定政党を応援しようというものではなく、短期的には法案成立を阻止するため野党の力を結集させよう(利用しよう)というものだった。野党勢力の結集という意図は確実に実現に向かい、6月の後半に行われた渋谷での街宣においては、民主党・共産党・維新の党・社民党・生活の党の国会議員(社民党のみ国会議員のスケジュールの関係か市議会議員の方)が同じ街宣車の上に立つということも実現した。共産党は志位委員長がやってくるという力の入れようで、SEALDsを中心とする若い人たちの動きに一番敏感だったというべきか。(ちなみに、自分は共産党支持者というわけではなく、選挙権を得て以来共産党の候補に投票したことはない? もしかしたら1回くらいはあったかも?)。

さて、話を戻そう。国会前のデモでも、毎回のように野党の議員がやってきてスピーチをするようになっていき、だんだんとサッカーにおけるサポーターと選手との関係に似たようなつながり(政治・社会運動では「連帯」という言葉を使うのか?)ができていったように思う。そうしたなかで、政府と徹底的に闘うことを避けていると見られている議員がスピーチを行ったときはデモ参加者からヤジが発せられ、集会進行役のSEALDsのメンバーがそうしたデモ参加者に対して「僕も〇〇党に対しては言いたいことあるけれど、今は法案反対の力を結集したい。話をちゃんと聞きましょう」という趣旨のことを発言した。まるで、選手に文句をいう一部サポーターに対して「今は選手の後押しをすることに力を尽くそう」と語るコールリーダーのよう。

そして、参議院での採決が迫るなか「野党は頑張れ」というコールが加わり、国会議員も国会前に来て「皆さんの声は議事堂の中まで届いています」と語り、それをうけて、コーラー(コールをリードする人)が「声をそろえて、国会の中に届けましょう」という感じでコールをリード。また、野党議員は国会内の情勢の報告(今休憩中とか何時から再開とか)まで行うようになった。さらに、僕は離脱してしまっていたのだが、法案が通った後、野党議員が最終的な報告のためにやって来てマイクを手にした。これなどは、試合後に選手たちがゴール裏に来るのと、感覚的に重なるものがある。

まあ、今回のことは、デモ側・政治家側がお互いの力を利用して共通の政治課題に向かおうという政治の場におけるものであって、スタジアムにおけるサポーターと選手との関係に重ねて考えるのは無理があると思うが、少しだけそんな感覚を覚えたということで。。。

さて、デモに参加した人たちに共通する要求は立憲主義・民主主義・平和主義の擁護といってよいだろう。そうした運動の高揚をうけて、共産党が安保関連法の廃止を目的とする政権樹立に向けた勢力の連合を呼びかけた(安保関連法の廃止と集団的自衛権の一部行使容認の閣議決定を廃棄した後、衆議院の解散を行うということである)。SEALDsらがそういうことを求めて動くときが来るのかなと思っていたが、若者を中心とする運動にもっとも敏感に反応してきた共産党が早くも動いてきた。問題は他の野党がこの動きにのるかどうかだが、これからも続くであろう国民的な運動が、野党の大同団結を後押しするのではないかと考えている。

個人的には今の政治状況悪化の元凶ともいえる衆議院の選挙制度(小選挙区制)の改正も大同団結の主題にできないものかと思うが、主題を増やすと話がややこしくなるので無理か?

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