2019年の夏、母が狭心症をわずらって以降、家事全般を僕が行うようになった。
翌年、早々コロナ禍になり外食がままならなくなり、食事は基本自炊ということになった。そこで、今まで作ったことのない料理に挑戦することが多くなった。
そのなかで割とよく作ったのが、写真の料理。
ほぼ酢豚なのだけれど、違うところも多い。
母は肥満気味というか肥満体で、また高血圧もあり、油脂控えめ、カロリー控えめ、塩分控えめ、野菜多目というのを献立の基本とした(写真の通り、栄養のバランスも考えて人参、ピーマン多目にしてみると色味もよくていい感じになった)。
酢豚は正式には、豚肉に下味をつけて片栗粉をまぶして油で揚げ、また、野菜類も油で軽く揚げたうえで、フライパン(中華鍋)に投入、あらかじめつくっておいた調味液とまぜ、最後に片栗粉でとろみをつけるという感じなのだろうが、脂分を控え目にしたいので、油で揚げるという方法はとりたくない。
そこで考えたのが、肉はノンフライヤー(熱風調理器具)で調理するということ。
肉はかたまりを使わず、豚バラ肉の薄切りを使用。
ノンフライヤーは食材が持つ油で揚げるように調理する仕組みになっており、豚バラ肉を使ってみた。脂分は調理器具の受け皿部分に落ちるので、カロリーは抑えられるだろうと考えた。
ちなみに、ノンフライヤーは、自身の体のことを考えて母が購入したものだが、買った時期が料理をしなくなっていった(できなくなっていった)時期と重なっていて、台所の隅で死蔵されていた。
豚バラ肉に下味をつけ、手でまるめて片栗粉をつけてノンフライヤーで調理してみると、それらしいものにはなったが、この過程がけっこう面倒で、また、肉の脂分も十分に落ちる感じではなく、2回くらいの試行でこの方法はやめることにした。
野菜の方だが、玉ねぎとピーマンはフライパンで炒めるとして、人参は火が通りにくいので、電子レンジで加熱した。
それで肉だが、上述の方法に代えて、豚ロースの薄切り肉を、下味なし、片栗粉なしでいきなり炒めるという方法を試してみた。(脂身を少なくという観点からはもも肉がよいのだろうが、概して固めで母もあまり好まなかったのでロースを使用。脂身が多い場合は、もったいないが少しカット。上の写真は自分用なので脂身のカットという過程は省いている)
酢豚もどきを作るときに使う油はごま油。
フライパンにごま油を適量しいて、その上に適当な大きさに切った肉を並べる(いわゆるコールドスタートというやつ)。
肉をきれいに並べるのには理由があって、ある程度均等に塩コショウするためである(コールドスタートだとこの過程を丁寧にできる)。下味をつける過程を省いても、この塩コショウによって味の物足りなさはそれほどでもなくなった。
コンロの火をつけて肉の色が変わってきたところで、玉ねぎ、ピーマン、そしてレンジで火を通しておいた人参を投入して炒める(人参はすでに柔らかくなっているが油を吸わせた方が栄養の吸収がよいということを聞いたことがあるので)。
玉ねぎ、ピーマンにそれなりに火が通った段階で、あらかじめ用意しておいた調味液(酢、砂糖、醤油、酒、みりん、ケチャップ、水)を投入して煮立たせ、適当なところで、前に紹介した「とろみちゃん」でとろみをつけて出来上がり。
]]>12月から大根の粕味噌漬けの実験をしている。
母がずっと毎秋に漬けていたのだが、6~7年前を最後に漬けなくなっていた。
自分も馴染んできた味だし、母ももちろん大好きだった。
2021年の秋、久しぶりで食べたくなったのと、母に少しでも「何かをやっている」という充実感を味あわせたくて、「大根の粕味噌漬けを漬けてみない?」ともちかけた。
冷蔵庫に入るくらいの容器に少量を漬けようと思ったが、ちゃんとした手順を踏むには、まず大根を天日干ししなければならない。
しかし、その手間は省きたい。そこで思いついたのがネット通販。考えうるありとあらゆるものがネットで手に入る時代である。検索してみると、ありました、ありました、天日干しした漬物用の大根を売っているところが。
記憶がやや薄れているのだが、4キログラムという割と少量を売っているところがあり、購入を申し込んだ。
干しあがるまで少し時間を要するということだったが、2~3週間待っただろうか? 天日と寒風によってしなしなになった大根が5本だったろうか6本だったろうかが入った箱が送られてきた。
本来は、干し大根を1週間くらい塩漬けしてから、酒粕、味噌、ザラメを混ぜて本漬けに入るのだけれど、もう水分はかなり抜けていたし、粕味噌に漬けるだけで水分がさらに抜けて、ちゃんと漬かってくれると思い、母に「これをすぐに漬けてみても大丈夫じゃない?」と言った。
問題は、酒粕、味噌、ザラメの分量だが、幸い台所のホワイトボードに母が書き残した何年か分のレシピが残っていた(分量が毎年微妙に異なるのだがー塩漬けの具合により微妙に調整していたのか?)。
スーパーで酒粕、味噌、ザラメを買ってきて、母と一緒に本漬けの準備をした。
大根はたくあん漬け用のものでかなり長く、半分に切り、それをさらに縦に半分に切って(断面は半円状になるように)、冷蔵庫に入るサイズの容器に無理やり漬けこんだ(重石は不要)。漬け込む作業は母にやってもらった。
塩漬けを省いたので、やはりかなり水分が出た。
2週間後、試しに一切れ(1本の大根の4分の1)取り出して食べてみると、まだ、大根の辛味がかなり残っていたがそれなりに美味しく食べられた。
漬けてから1ヶ月を過ぎた頃には、粕味噌の味がしみ込んで、かなりよい味になり、母も満足した様子だった。
2022年の秋、また漬けようかとも思ったが、前年買った漬け物用干し大根は少し分量が多くちょっと問題があった。大根プラス粕味噌でけっこうな重量になり冷蔵庫のプラスチックの棚が割れてしまったのだ。そこでもう少し少量の大根を売っていないかと探してみたがみつからず。
どうしようかと思い、だめもとでネットで大根の粕味噌漬けの通販を行っている店はないかと探してみた(大根の粕味噌漬けはあまりメジャーな漬物ではないよう)。そうすると小樽の漬物屋が売っていることがわかった。
試しに少量購入してみた。母が気に入ってくれたので、2022年から2023年かけての冬はこれで行くことにした。
そして、2023年から24年にかけての冬。残念ながら母のいない冬である。
2021年に買ったザラメが残っていたので、これを使って漬けてみることにした。
まず、半分に切った大根を買ってきて、さらにその半分を部屋干しした(実験ということでごく少量だけ試してみた)。天日干しの方がよい味がでるのだろうが。
暖房を入れた部屋は乾燥しており、みるみるうちに大根から水分が抜けていき、しんなりしていった。
3日くらいたったところで、塩水に漬け、水分がだいぶ出たところで、一晩水に浸して塩抜きをしてから本漬けに入った。
1週間くらい経過したところで、容器から取り出しで食べてみたが、大根は先の方を利用したので辛味が強く、また、漬かり具合も今一だった。
その次は、部屋で干した後、塩漬けを省略して粕味噌に漬けてみた。
今度は大根の葉に近い方を利用したので、辛味は少なく、そこそこ美味しかった。
そして、その次は干しの過程を省略して塩漬けしてみた。
大根はやはり辛くない葉に近い方の半分を利用。
ちゃんと大根の重さをはかり、その3パーセントの量の塩で1週間下漬け(上から圧力を加えることができる小さい漬け物漬け器が家にある)。
そこから2週間弱の本漬け(今度は塩抜きの過程は省略-ちょっと切って食べてみたところほとんど塩味を感じなかったので-3パーセントの塩だと水分は出るが塩辛くはならないみたい)。その成果が冒頭の写真。
形が今一つよくないのは、漬かりやすいように大根を縦4等分に切ったものに上から強い圧力を加えてた塩漬けした結果、だいぶつぶれてしまったから。
味は一連の実験のなかで一番だった。
ところで、もう一つ実験しておきたいことがある。
今回で残っていたザラメを全部使い切ったのだけれど、それに合わせて酒粕、味噌を合わせた結果、粕味噌の分量がかなりの量になった(ザラメ140グラムくらい、味噌140グラムくらい、酒粕300グラムくらいー酒粕は板状のものではなくペースト状のもの)。塩漬けをちゃんとしたので、あまり水分も出ておらず、これにさらに塩漬けした大根を追加してもちゃんと漬かるのではないか?
ということで、昨日、またまた大根を買ってきて塩漬けした。
]]>ここ数年間、母親専属の料理人であったが、時々麻婆豆腐を作った。
当初は市販の麻婆豆腐の素を使っていたが、母は辛い物がダメで"中辛"と称する麻婆豆腐の素の類では、あまり喜んで食べてもらえなかった。
また、甘口というものも発売されているのだけれど、簡単に調理できるように豚ひき肉まで入っていて使いたいとは思わなかった。
豆腐だけあればよいので都合がよさそうなものだが、麻婆豆腐だけで(言い換えるとあまり品数を作らずに)タンパク質をしっかり摂れるようにしたいので、肉が多目のものを作りたい。なのでひき肉入りの麻婆豆腐の素は選択肢には入らず、調味料をあわせて自分なりのものを作ろうということになった。
幸いネット上には麻婆豆腐のレシピが色々あって、それをアレンジして母に喜んでもらえる味に仕立てていった。
そのレシピ(2人分)は以下の通り。
豆腐(うちでは木綿豆腐を使っていた):170グラムのパック1つ
豚ひき肉:70~80グラム(母にはあまり脂肪を摂らせたくなかったのでスーパーではあまり白っぽくない、つまり脂身の少ない部分を使っているパックを探して購入していた-70~80グラムというパックはないので使わないものは冷凍して餃子や豆腐ハンバーグなどに使った)
チューブにんにく:小さじ1~2
生姜:チューブのものは風味が物足りない感じがするので、生の生姜をみじん切りにして使用(大さじ1弱くらい)
ねぎ:白い部分15~20センチをみじん切りにして使用
豆板醤:小さじ1弱(かなり少なめ)
甜面醤・醤油・酒:それぞれ小さじ2
砂糖:小さじ1
鶏がらスープの素:小さじ1(気持ち少なめにすることも多い)
水:100㏄
<手順>
1.フライパンにサラダ油(適量)をいれ、まずひき肉を炒める。
2.肉の色が変わってきたら、にんにく、生姜を入れてさらに炒める。
3.肉から出た水分がとんだ頃に豆板醤を入れて炒め、さらにネギのみじん切りを入れて炒める。(テレビによく出るある中華料理のシェフが「ネギは調味料」と言っているのだけれど、ネギをこのタイミングで投入してよく炒めるとその甘味がでておいしくなるようだ。1度、この手順を間違えて、最後にネギを入れたことがあるが、味わいが違ったので、たぶんネギが調味料としてよい仕事をしているのだと思う。ネギをこんな風に炒めないパターンもあると思いますが、自分の好みは炒めた方。)
4.水、甜面醤、醤油、酒、砂糖、鶏がらスープの素を混ぜたものをフライパンに投入して、煮立ったら豆腐を入れて数分煮込む。
5.普通、最後に水溶き片栗粉を入れてとろみをつけるのだが、とても便利なものがあって、それが「とろみちゃん」というもの。北海道の企業が作ったもので顆粒状に加工した片栗粉。これは水溶きする必要がない優れもので、サッサーとふりかけかき混ぜるだけでとろみがつく。溶けやすいので、どこかにまとまってしまい、とろみにムラが出るということもない。
下が「とろみちゃん」
辛くない麻婆豆腐。母はいつもちゃんと食べてくれていて、口には出さなかったが、けっこう気に入ってくれていたようだ。
しかし、味は今一安定せず、調味料はちゃんと軽量スプーンをつかっていたから、生姜の分量(残りが少なく少ししか使えないことがあった)や風味(やや古くなって風味が少なくなっていることもあった)・ネギの分量などが影響していると思う。
辛いものが好きならば豆板醤を増量すればよいと思うが、自分も辛い物はそんなに得意ではないので、母が亡くなった今もレシピは変更せずに作っている。それが上の写真で赤味が少ないのは豆板醤少な目だから(フライパンから食器に移してから撮れば良かったかも)。
]]>すると、入院4日目に繰り返し繰り返し家に電話をかけようとしていたことがわかった。
色々とさわっているうちに機内モードに切り替わってしまい、発信できないでいたようだ(その前夜、たまたま看護師さんが発信できないでいる様子に気が付いてくれたのか、母が看護師さんに助けを求めたのか、病棟の電話から家に電話をかけてきた)。
結局、発信することはできずあきらめてしまったようで(もしくは充電が切れたのか)、その日を最後に発信記録は残っていない。
何度も何度も発信を試みて、うまくいかないで混乱していたであろう母の心持ちを思うと今更ながら心が苦しくなる。
母がスマホ(らくらくスマホというやつ)に機種を変えたのは、2019年の2月。それまで使っていた3Gのガラケーの充電池がだめになったので仕方がなく変えたのだが、その際、ガラケー型の4G携帯にしていればと思う。
機種変更を行ったその日は、たまたま携帯ショップに付き添えず、別の人間に付き添ってもらったのが失敗だった。
機種変更後、当初はまあ何とか操作できてはいたが、使えたのは電話とメールの受信くらいで、画面の思わぬところに触れてしまい画面が切り替わってしまうと、もう立て直しが出来ない状態だった。
ホームボタンを押して、そこからやり直せばよいと思うかもしれないが、それは無理な状態だった。
若いころからスマホというものがあり、その操作が体に染みついている人たちならば何の問題もないのだろうが。
スマホの操作に苦戦するのを見ていたので、ガラケー型の機種に変更してあげようと思ったが、先送りしているうちに、母は段々スマホを使わなくなり、母が使いたいと思ったときに携帯が使えない状態になってしまったことを後悔している。
ガラケーに慣れ親しんだ高齢者が宣伝や割引に流されて、スマホに機種を変更するのは考え物だと思った。
飛行機では次のようなことを経験した。
母と飛行機に乗った際、機内のトイレに入った母がなかなか出てこないということがあった。
自分はずっとドアの外に待機していて、やっとドアが開いたので、「洗浄のボタンがわからなかった?」と聞くと「うん」とうなづいた。
いちいち飛行機内のトイレの洗浄ボタンがどんなものなのか覚えていなかったのだが、その時、改めて見てみて、これでは認知力が低下した年寄りにはわかりにくいだろうなあ、と思った。
高齢者にやさしくないものの最たるものはマイナカード・マイナ保険証だろう。
母はマイナンバーカードすら作っていなかったので問題は何もなかったのだが、認知力の低下した人には暗証番号が必要なカードの利用は無理である。顔認証があるじゃないかといわれそうだが、精度の問題もあり認証できないことも多々あるらしい。
それで暗証番号の必要ないカードが発行されるようになるらしいが、カードは更新手続きというものが必要なのである。更新の手間というものをどう考えているのか? ただでさえ人手の足りない介護施設などにとっては余計な業務だろう。
現行の健康保険証であれば、保険料を納めていれば(母の場合、年金から天引きされていたので何もする必要がなかった)、登録した住所に保険証が送られてくるので家族としては楽だった。
そして、最後に入院した療養型病院では保険証を預けて、その病院にない科にかかることになった場合に備えることができた(結局はそういうことにすらならず亡くなってしまったが)。しかし、保険証が廃止された後、すでのマイナ保険証に切り替えている人は、それを預けるしかなくなる。そのカードが暗証番号が必要なタイプの場合、介護施設などでは預かるのは不可能としている場合が多いという。いったいどうするのだろうか?
皆年をとる。そして、いつまでも体と頭が元気とは限らない。
母の介護を通じて、自分のことも、体と頭の衰えというものを前提に色々と決めていかなければならないと痛感した。
ところで、政府は医療のデジタル化とか言っているが、今回の自民党をめぐる金の流れの問題で、マイナンバーカードやマイナ保険証も、金を出してくれる企業のための政策であることは明らかになったといっていいと思う(経済団体のトップが『マイナ保険証の納期(保険証の廃止期日)』を守ってもらいたいと発言したこともあるしー利害がからまないとこんな言い方しないでしょう)。医療の世話になる確率が高くなる高齢者のことなどほとんど考えていないのではないか。
政治資金問題で批判が高まるなか、評判の悪い健康保険証廃止を予定通り実施するということを政府は表明した。こんなときに何故なのか、という声が起きているが、国民の自民党批判が高まっている今だから、お金を出してくれている経済界に恩恵を与え、将来の選挙でも協力(投票行動)を得て、少しでも傷を少なくしようと考えているのだろう。そして、そこにはどうせ多くの国民は無関心で、どうせ投票にはいかないだろうから、利害をともにする企業とそこの従業員、それに連なる人々の票だけで何とか政権を維持できるという、国民をなめきった思考が見え隠れしてしまう。
]]>そのうちの一つのクリニックの待合室の壁には絵画が飾られていて、その中に、行ったことがある人が見るとすぐに「モロッコのエッサウイラ」とわかる作品(のレプリカだと思う)があった(ある日、別の作品に差し替えられたので、絵画のレンタルサービスを受けているのだろう)。
もちろん母はエッサウイラを描いたものだということはわからなかったと思うし、そもそも待合室に飾られている絵画自体に興味がなかったと思う。
しかし、僕にとっては、母が亡くなった今となっては、母と一緒にすごした時間、いつも眺めていた絵として、とても強く心に刻まれている。
待合室の長椅子に母の隣に座ってその絵を見ていたときは、誰の何という作品だろうかとかは考えなかったが、亡くなってから急に作者を確認したくなった。
それでネットで「エッサウイラ」「絵画」で画像を検索してみると、蛯子真理央さんという人の「道を往く」という作品(2011年)であることがわかった。
作品は蛯子さんの公式ページで見られるので(このリンクを開いて下から2段目、右から3番目の作品をクリックすると見ることができる)、タブレットにスクショを保存して、時々眺めて、クリニックの待合室で母と過ごした時間を思い出している。
好きな絵なので、レプリカが売られているのならば購入して部屋に飾りたいほどなのだけれど。
]]>10月初め、日帰りで秋田へ行ってきた。
9月に母が亡くなったのだが(しばらく更新が止まっているのはそういうことです)、その故郷が秋田で、秋田時代の戸籍(除籍)謄本をとるためだった。
遺産相続の手続きには、故人の生まれてから亡くなるまでの戸籍が必要となる。秋田の分は郵便で取り寄せることも可能だったが、住民票のある住所にしか送ることができないと言われてしまった。自分は現在札幌で諸手続きを行っているが、住民票は相変わらず東京にあるので、いちいち送ってもらった戸籍を東京までとりにいかなければならない。それ以外にも、諸手続きのため、東京に行く必要が色々と生じてはいるが、秋田市役所に郵送を頼んだ場合、いつ届くのかわからないという問題があった。それならば、母の故郷を見ることも兼ねて、秋田まで行ってみようと思ったのだ。
秋田へ行った日は好天に恵まれた。
秋田市役所に着いたのは12時過ぎ。すぐに証明書を取得する窓口へ行き古い戸籍の写しを受け取った。30分強はかかったと思う。しかし、目的を達したので、もうやることがない。
市役所の食堂で昼食をとり、その後、千秋公園へ行った。幼いころの母が親と一緒に散歩に行ったりしたのだろうか?
上の写真は秋田市役所。
上の写真は千秋公園(久保田城跡)の入口の一つ。以下の2カットも千秋公園。
帰りの飛行機は20時過ぎだったので、時間はたっぷりあった。
ということで県立美術館で絵を見てから、かなり早かったが空港へ向かった。
下の写真は県立美術館から千秋公園方向を望んだもの。
久しぶりの旅行だが、もちろん気分はもりあがらなかった。
ところで、何か淡々と書いてきたが、母の死は予想以上にこたえている。
かなり暗い話になりますが、お付き合いいただける方は続きをどうぞ。
]]> <母の死>それはあっという間だった。
家の中の何でもないところでバランスを崩し転倒。
立ち上がれなくなり、仕方なく救急車を呼んだ。
世間ではコロナ明けとか寝ぼけたことを言っているが、医療機関では決してそういうことはなかった。割とすぐに受け入れ病院は見つかったが、次から次へと救急患者を受け入れなければならないので、すぐに転院先を探すというのが前提の入院だった。そしてやはり面会は禁止。
背骨の下の方が折れていて、痛みと相談しながらリハビリをする。ついてはリハビリ型の病院を探してくれるとのことだった。
ところが入院3日後、病院から酸素飽和度が90まで低下したとの連絡があった。誤嚥性の肺炎を発症したというのだ。骨折痛によって、咳き込んだりすることができなかったから、誤嚥したものがもろに肺に届いてしまったのか? これによって転院もリハビリ型び病院ではなく、療養型病院をさがすという方針に変更された。医師は「穏やかな最期を迎えられるようにしたい」という。専門家が客観的にみるとそういう状況なのだろうが、息子としては、そう簡単に受け入れられるものではなかった。
転院先を見つけるまで2週間強を要した。その間、面会できず、実際に会って状態の変化を見るということができず何とももどかしい時間をすごした。それでも、家に戻ってくることを信じていた。
転院の日、17日ぶりで母と会えた。一応炎症は抑えられているものの、肺がダメージを受けているらしく酸素が必要な状況に変化はなかった。
転院の際には母と一緒に介護タクシー(車椅子のままで乗車できる)で移動し、その時は家に帰ってこられるのでは?と感じたが、それは希望的な観測でしかなかく、転院段階でほぼまともに食べられなくなっており(転院後は中心静脈への点滴で栄養を補給する措置がとられた)、さらに転院後、発熱を繰り返した。
幸い、転院先では制限はあるものの面会が可能だった(週2回ないし3回、1回20分)。ちょっと調子がよく会話が成立することもあったが、基本的には会いに行くたびに元気がなくなっていった。病室を去る際、手を振ると振り返してくれていたが、最後は手首から先だけをちょっと立てて手をふるような雰囲気を示すだけになった。頑張って手をふろうとする姿はいじらしかった。面会に行く日、その道すがら「今日はどうだろう?」と思うと胸が苦しかった。
救急搬送から2ヶ月目の早朝、病院から死を知らせる電話が来た。その前日、面会に行った際には容体が悪く、話すこともままならず、医師から危ない状況であることを知らされたので覚悟はできていたが、やはりきつかった。
病院の霊安室で母と対面。体は、まだ、かすかに暖かった。しかし、悲しみに打ちひしがれているわけにはいかない。すぐに葬儀屋を手配しなければならないのだ。親など近親者を亡くしたものは皆通る道なのだろうが、何ともつらかった。
葬儀屋など研究しているわけもなく、家から近い、CMで見たことがあるという理由だけで決めた。
霊安室に到着してから2時間弱後には、母と一緒に葬儀屋の搬送車に乗っていた。40日前、この病院に来たときは、話しをしながら来たのにと思うと、とめどもなく涙が出てきた。
はずかしながら、葬儀、出棺でも涙がとまらなかった。
思えば、母は母親というだけではなく娘のような存在になっていた。
2014年、世界一周航空券を使って久しぶりの長目の旅をした。帰国後、実家に帰り、割と長く滞在するなかで母の認知機能の低下に気が付いた。それ以来、実家にいる時間を増やしていき、生活の色々な面の手助けを行った。一番、助けが必要だったのは通院だった。医者の話を覚えられなくなっていたので。
それでも、幸い母は大概のことは自分でできたから、自分は海外へ出かけることもできた。しかし、徐々に家事全般をしなくなり(しようと思ってはいてもできないようだった)、実家にいる時間を伸ばしていかざるをえなかった。2019年の後半には、東京1、実家9という感じになり、コロナ禍に入ってからは、東京の家の管理のため上京することはあったが、日帰りということが多くなり、1年のうち350日は実家にいるという状態になった。
ずっと離れて暮らしていたら母との思い出は遠い昔のことばかりになり、亡くなっても淋しさは、そんなに募らなかったのかもしれない。しかし、ここ数年、特にコロナ禍に入って以降はずっと傍にいたのだ。たとえば足が弱りすぎてはいけないということで、天気の良い日は家の回りの散歩に連れ出した。ほんの200~300m一緒に歩くだけなのだが。そんな日常の些細な一コマ一コマが、なかなか行きにくい国や地域に行った時以上の思い出になっている。
永遠の命はないし、親が子より先に亡くなるというのは自然の理にかなっていることなので、受け入れなければならないことだと理解はできている。しかし、しばらくは母のことを思って日々をおくることになるのだろうと思う。
]]>「この報告書は日本の方針を推奨するものでも支持するものでもない」と。
また、IAEAの事務局長は番組のインタビューに対してこう答えている。「謙虚さをもって説明を続け、彼ら(漁業関係者)の信頼を得なければ未来はありません」と。
]]>これはニューズウィーク日本版に掲載された記事で、G7広島サミット首脳による声明の英語原文を日本政府が意図的に誤訳したとされるというものである。
G7の国々の首脳は「処理水の放出」が「不可欠」と言っていないし、賛同していないにも関わらず、G7の国々を利用して国民を納得させようという意図が透けて見える。
都合のよい日本語訳を発表しておけば、日本のマスコミはただそれを発表するだけだから、処理水放水の件で大多数の国民の納得を得られるだろうという意図なのだろうか。
こんなことをやっている国を国際社会は信用してくれるだろうか?
統計の数字をいじったり、情報を隠蔽したり、公文書を廃棄したり、そんなことをする政府であることは、既に知れ渡っていると思うし。
そんなことをする政府が発表する原発処理水に関する情報を黙って信じてくれると思う方がどうかしているだろう。
]]>しかし、その報道を、どんな問題が含まれているのか理解して、見たり読んだりしている人々は少ないのではないか?
かく言う自分もよく理解できてはいない。
このままわからないままでいてはいけないと思っているうちに、"処理水放出"が実施に移されてしまった。
遅きに失したが、この問題について、一人でも多くの国民が声をあげていかねばいけないと思い(この国にはほかにも問題が多すぎて嫌になってしまうが、あきらめたらそこでゲームオーバーなので何とか関心を失わないよう、少しでも声をあげるよう努めていきたい-以前はけっこうデモに参加していたりしたのだがコロナ禍もあるし、その他諸般の事情で遠ざかっている)、こんな辺鄙なページ付属のブログではあるが、ちょっと書いておこうと思う。
そもそも、だいぶ前には"処理水"ではなく「汚染水」と呼ばれていた。それが、いつの間にか"処理水"なる名称で呼ばれるようになったあたりで、何かこの問題に対する政府・東電の対応策が胡散臭いものであると感じるようになっていた。
確かに汚染水に含まれる放射性物質は処理されてはいるようなので処理水ではあるようだが、完全に処理されたと考えてもいいものなのか?
それについては2018年、大半の処理水にトリチウム以外の放射性物質が基準値以上に残留しているにもかかわらず、東電はホームページに掲載するだけで関係者に説明していなかったことが発覚して大きな問題になった。
現在、処理水放出に関する報道はもっぱらトリチウムに焦点をあてたもので、それ以外の放射性物質はどうなっているのか?
今日(8月25日)たまたま見たの処理水放出に関するNHKのニュースでは、「トリチウムなどを含む処理水」と処理水に含まれる核種にはトリチウム以外もあるということを示す言い方をしている。まあ、不正確という批判を避けるためなのだろうが、それだけであり、すぐに、今日(25日)、処理水放出後に初めて水揚げされた魚のトリチウムの検査がされるという話に話題が移った(しかし、検査するのはトリチウムだけなのか?)。また、環境省は今日(25日)周辺海域でトリチウムの濃度を調べるために海水採取を始めたということも報道されている。トリチウム以外はどうするんだ?
政府・東電はちゃんとやってますよ、安全に問題はありませんよというポーズを示しているだけではないのか?(そもそも関係者の理解なしにはいかなる処分も行わないという約束を破っているので、その時点でアウトだと思う)
あまりよく理解していない人が見ると、ちゃんと検査しているし大丈夫じゃないか? となるだろう。トリチウムは実は、生物への影響は少ないとされる物質らしく、より大きな問題はそれ以外の放射性物質らしいので、このままではまずいと思う。
福島第一原発の処理水放出については、下記のページが参考になるかと思う。備忘のためリンクを貼って、いつでも読むことができるようにしておくことにする。
【Q&A】ALPS処理汚染水、押さえておきたい14のポイント
]]>そんな中札幌市は週に1度下記のような数値を発表している(下水サーベイランス)。
これを見ると流行の傾向がはっきりとわかり、かなり大きな波になっていることがうかがわれる。
パンデミックが始まって以来、お盆の時期以降は流行が落ち着く傾向があったようだが(皆警戒するのがその主因か?)、今年はちょっと様相が異なる。その要因の一つは、マスコミなどによるコロナは「明けた」「落ち着いた」「軽い症状ですむ」等々の報道による人々の行動の緩みだろう。いうまでもなく、感染者が多ければ、一定数は重症となり死者も多数発生する。加えて、このウイルス感染症には得体のしれない後遺症があり、それについては徐々に明らかにされつつある。
札幌市の感染状況が来週どのような動きをみせるかは、まったくわからないが、警戒を強めるべき局面にあることは間違いがないだろう(ここではとりあげなかったが、札幌だけではなく日本各地の状況も楽観できるものではないらしい)。
]]>日本では報道されていない感じだけれど(すべての報道をチェックしているわけではないので確たることは言えませんが)、アメリカや韓国では報道されている。
世界で同時多発的に見つかっているので伝播力が強い可能性があるとのこと。XBB.1.5に比べ、36箇所もの変異をもっており、今秋開始予定のXBB.1.5ワクチンによる免疫を回避する懸念もあるらしい。
]]>自分はtwitterのアカウントは持っていないが、ログインせずに見るだけということができたから。
しかし、6月の下旬だったか、それができなくなり、さらにtwitterはXというものに変わり、アカウントを持たぬまま情報源として利用するということはできない状態だった。
が、色々な手段で全部ではないが、一部見ることができるようになり、それによって得ることができた情報を以下に載せておきたい。
新型コロナに関する目下の関心は、新たな変異株と、以前も書いたが、新型コロナをほぼ無視するようになった(それは日本も同じだが)イギリスの状況だ。
イギリスのマスクに関する報道は重複する部分もあるが、両方のせておくことにしました。
現在のイギリスの状況は、少し遅れて新型コロナを無視するようになった(政府がそのように仕向けた)日本の未来図を示しているように思う。
その8月には旅行記をアップしたが、その際、早くアップすること、データ量があまり大きくならないことなどのため、かなりの数の写真の掲載を見送った。
しかし、ホームページ作成の目的が、誰かに見てもらうことよりも自分の旅の振り返りのためというものに大きくシフトしており、割愛した写真の多さが気になっていた。
加えて、先日書いた通り、現在一般に利用されているPCのディスプレイでは、150%のサイズで表示することが推奨されており、推奨通りの設定で閲覧すると、写真がやや粗くなってしまうという問題もあった。
ということで、写真の数を大幅に増やすこと、写真のファイルサイズを大きくすることを主眼にリニューアルすることにした。
世界一周の旅からすでに9年が経過した。
9年といえば、小学校に入学した子供が中学を卒業する年数である。
年月の経過が本当に速い。歳をとるはずである。
ところで、ホームページの写真を大きなファイルサイズのものに変更するのは思いのほか面倒だ。
まず、150%で表示されても画像が粗くならないため、縦横のピクセル数が大き目の画像を用意する。しかし、そのままアップするとPCのディスプレイ内に収まらなくなるのるので、ディスプレイに収まるようにhtmlで表示サイズ指定する(例えば縦333、横500ピクセルの画像は縦500、横750ピクセルで表示されてしまうので、画像は縦500、横750ピクセルの画像を用意して、htmlでは縦333、横500ピクセルで表示されるように指定するー実際には横サイズのみ指定できちんと表示されるのでhtmlでも横サイズのみ指定してます)。
1カット2カットならばたいした作業ではないが、ホームページ内の写真は膨大な数なので、これを全部変更するのは気が遠くなるような作業だ。
写真の再選定、リサイズ、修正、場合によっては再スキャンという作業は、何回目かの旅をしているような気分にさせてくれることも確かなので、少しずつ進めていこうと思う。
]]>しかし、最近、ちょっとした問題に気が付いた。現在、一般的に使用されているパソコンのディスプレイのサイズ(解像度)がずいぶんと大きくなっており、自分のホームページの画像を表示するとかなり粗くなってしまうのだ。解像度の低いパソコンで確認する分にはまったく問題ないのだが。
現在、割と多く利用されているタイプのパソコンのディスプレイのサイズは1920×1080というもので、デュスプレイの設定における表示サイズの推奨値は150%になっている(その設定でほとんどの人は利用していると思う)。
で、それだとどういう問題が起こるのかというと、ホームページの画像がもとの画像の1.5倍のサイズで表示されるので、画質が悪くなってしまうのだ。
なので、1920×1080のディスプレイで見ても、画質が悪くならないようにするには大きなサイズの画像をアップロードする必要がある。
もっと早く気が付けばよかったのだが、上に書いた通り、ホームページの作成と実際のページのチェックはディスプレイの解像度が低い古いパソコンで行っていたので仕方がない。
ほとんど自分の思い出用に作っているといってよいホームページなのだけれど、パソコンで見たときに「う~む、画質が。。。」と思うのも嫌なので、この先、ちょこちょこ画像の入れ替え作業をしていこうと思います(というかギャラリーの一部は既に画像を入れ替えています)。
]]>上記のWHOのtweetを訳すと次のような感じになります。
「どの国でも今起こりうる最悪のことは、ニュース(緊急事態宣言終了のニュース)を理由に、コロナへの警戒を緩めたり、構築したシステムを廃止したり、コロナは心配する必要がないというメッセージを国民に発信したりすることです。」
緊急事態宣言の解除というのは、人がバタバタ亡くなるような"緊急"事態が終わったということを宣言しただけと理解すべきなのは明白ですが、日本はまさにWHOが懸念しているようなことを国全体で推し進めようとしている感じで、個人的にはかなりまずいなあと感じています。「緊急事態宣言の解除だ。ウェーイ」という感じになりそうで怖いです(実は高齢の親を介護している身でもあるので)。
日本ではあまり報道されていないようですが(他国の報道の状況は知らないのですが)、新型コロナウイルスのパンデミックが進行するのと並行して、当然その研究も行われおり、それらを知るといまだ決して安心できる状態ではないと思わざるを得ません。
世の中には、そういった研究を注意深くチェックしてtwitterなどで伝えてくれる人たちがいて、以下はそういう人たちのお蔭で知ることができた情報の一端です。
世界的な医学雑誌として知られるランセットには以下のような研究が掲載されています。
https://www.thelancet.com/journals/laninf/article/PIIS1473-3099(23)00138-X/fulltext
上記の内容をgoogle翻訳を利用して、ざっと確認してみると次のような内容でした。
「xbb系の変異株(現在流行の中心となっている株)はBA株とはまったく異なるもので、よくいわれるワクチンと感染によるハイブリッド免疫も十分働かない。画期的な感染症の蔓延率が高いことは、ウイルスに対する消耗戦で私たちが失敗していることの証拠であり、症例数の増加、入院と医療提供、仕事から失われた日数、持続的な症状による慢性的な障害、および単純に正常に戻ることができないことによって測定できます。」
急性の症状による死亡リスクは割合としては当初の株よりも低下しているものの、感染力は強いため死亡実数は流行の波毎に増加している。そのことは国立遺伝学研究所の川上浩一先生が自身のtwitterに掲載している下記の表からも明らかです(https://twitter.com/koichi_kawakami)。
また、このウイルスのリスクとして後遺症に注目する必要があり、whoのテドロス氏のコメントとして10の感染のうち1つが長期間にわたるケアが必要な後遺症を発生させる(つまり感染回数が増えるほど後遺症に悩まされる確率が上昇するということ)というコメントも海外では報道されているようです。
後遺症については新型コロナウイルスが悪さをする場所は人体の臓器さまざまな場所であり、後遺症は様々な形で現れことが報告されています。
下記は後遺症に関するアメリカ・CDCのレポート。
https://www.cdc.gov/mmwr/volumes/71/wr/mm7121e1.htm?s_cid=mm7121e1_w
部分的にgoogle翻訳を通してみました。
「以前に COVID-19 を引き起こすウイルスである SARS-CoV-2 に感染したことのある人の数が増えており、急性 COVID-19 の 4 週間以上後に、持続的な症状または長期症状の発症が報告されています。 これらの症状は、一般にポスト COVID 状態、または長期 COVID と呼ばれます。 2020 年 3 月から 2021 年 11 月までの米国の 18 歳以上の人に関する電子医療記録 (EHR) データを使用して、患者のポスト COVID に起因することが多い 26 の状態 (以下、インシデント状態とも呼ばれます) の発生率を評価しました。 以前に COVID-19 の診断を受けた患者 (症例患者) と、EHR で COVID-19 の証拠がない一致した患者 (対照患者) の発生率を比較しました。 分析は、2 つの年齢グループ (18 ~ 64 歳および 65 歳以上) によって層別化されました。 患者は、指標との遭遇後 30 ~ 365 日間、1 つ以上のインシデント状態が観察されるまで、または 2021 年 10 月 31 日まで (いずれか早い方) 追跡されました。 18 歳以上のすべての患者の中で、症例患者の 38% がインシデント状態を経験したのに対し、対照患者の 16% が経験しました。 状態は複数のシステムに影響を与え、心血管、肺、血液、腎臓、内分泌、胃腸、筋骨格、神経、精神医学の兆候と症状が含まれていました。 年齢層別では、急性肺塞栓症(18~64 歳と 65 歳以上でそれぞれ RR = 2.1 と 2.2)および呼吸器の徴候と症状(両方の年齢層で RR = 2.1)のリスク比(RR)が最も高かった。 18 ~ 64 歳の患者では、症例患者の 35.4% がインシデント状態を経験したのに対し、対照患者では 14.6% でした。 65 歳以上の患者では、対照患者の 18.5% と比較して、症例患者の 45.4% がインシデント状態を経験しました。 これらの調査結果は、18 ~ 64 歳の COVID-19 生存者の 5 人に 1 人、および 65 歳以上の生存者の 4 人に 1 人が、以前の COVID-19 に起因する可能性のあるインシデント状態を経験していることを意味します。 COVID-19 予防戦略の実施と、COVID-19 を生き延びた人々のポスト COVID 状態の定期的な評価は、特に 65 歳以上の成人のポスト COVID の発生率と影響を軽減するために重要です 」。
後遺症とは少し違う(ある種の後遺症?)が、感染による免疫機能の低下も明らかなようです。
下記はアメリカCDCのページ。
https://www.cdc.gov/fungal/covid-fungal.html
パンデミックが始まってから、まだ3年半弱なのでこれらの研究の評価が完全に定まったとはいえないかもしれませんが、実際にデータとしては出てきているわけで、無警戒でいることは賢い態度ではないと考えます。
現在の状況は安全地帯にいる人たち(感染した場合すぐに検査・医療を受けられる環境にある人たち)が、経済のためという理由で、状況をよく知らない国民(状況を意図的に知らせられていない?)をもう安全だと思いこませて(マスクははずしてもよい、コロナは落ち着いた、コロナ明け、とか科学的とは思えない報道もそれに拍車)動かしている。
まるで安全地帯にいる政府首脳、軍首脳らが一般国民を動員していった戦時の状態と相似形をなしているようです。
欧米ではすでにコロナ以前に戻っているというような伝え方もされるが、実際は欧米といっても状況は一律ではなく、例えば、ニューヨークではこの冬、新型コロナのxbb型だと思うが流行状態が悪化した際には、公共の交通機関、屋内おけるイベント(屋外でも沢山の人が集まるイベント)、買い物におけるマスク着用(それも高性能マスク)が強く推奨されたりもしていました(下記の画像参照、イベントとショッピングの画像は切れてしまいました)。
上記のニューヨークの対応は、流行状態に関係なくどんどん対策を後退させている日本とはかなり異なると思います。
また、アメリカではtest to treat といって検査して抗ウイルス薬により治療するという対応がうまくいっているともいわれるようです。
とはいうものの、大雑把な傾向はどこの国も同様で、一般国民の少々の犠牲には目をつぶるという方向に舵を切っている感じです。具体的なソースを示すことができないので今回は詳しく書けませんでしたが、イギリスは相変わらず感染者が多く、かなりひどい状態ではあるものの、コロナにはかまっていられないという感じになっており、後遺症が大きな問題になったり、学校を長期欠席している子供が沢山いたり、という情報もあるようです。
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