V・ファーレン長崎戦~外海の教会(2019.04)
2019年4月、ルヴァン・カップのグループステージのV・ファーレン長崎戦の応援というか観戦のため、長崎へ行った。この年、コンサドーレはルヴァンカップの決勝まで駒を進めたのだが(残念ながら準優勝)、全試合を現地で見ることができた。そのなかで、試合会場・日程的に最も観戦ハードルが高かったのが、この諫早のトランス・コスモス・スタジアム(長崎県立総合運動公園陸上競技場)で行われたV・ファーレン戦だったが、長崎に以前から行きたいと思っていた場所もあり、試合日程が決まると、すぐに遠征計画を立てた。



いつもならばアウェイ席に陣取るのだが、この日は普段リーグ戦に出場しない選手が見られる可能性もあるということで、メインスタンドのチケットを購入。このスタジアムは陸上トラックはあるがメインスタンドからは比較的見やすい(たぶんバックスタンドも)。




コンサドーレのサポーター。さすがに平日の夜に諫早まで遠征してくるサポーターは少ない。






試合は、6-3でコンサドーレの勝利。福森のミドルシュートはすごかった。

この日は諫早駅近くのホテルに宿泊。

翌朝、長崎に出て、駅前からバスに乗って外海(そとめ)へ向かった。

目的地は大野教会。

この教会は、以前、NHKのBSだったろうか、ド・ロ神父(フランス出身、1879年出津に着任))が「ド・ロ壁」と呼ばれる石組みを用いて建設したことが紹介されていて、いずれ行きたいと思っていた。ただ、ここをメインの目的地にするほどでもなく、なかなか訪れることができずにいた。ちなみに、2018年、長崎と天草の潜伏キリシタン関連遺産が世界遺産に登録され、大野教会がある大野集落もその中に含まれている。



バスを降りて坂道をしばらく登って行く。




大野教会堂(1893年完成、2008年重要文化財指定))が見えてきた。石組みの感じがヨーロッパの田舎にある建物という雰囲気を醸し出しているが、屋根の瓦は東アジアという感じ。石組みは、、赤土を水に溶かし、そこに石灰と砂を投入したものを接着剤として、大野岳の玄武岩を積み上げて作られている。なお、教会内部は撮影禁止なので、外観の写真しかありません。




この教会は目立つところに十字架が立てられていないが、屋根瓦にさりげなく十字架の装飾がほどこされているのが、なかなか格好良い。







マリア像。




ちょっとだけ内部の様子がわかる写真(たぶん写っている部分は礼拝堂の祭壇の背後にある別室か何か)。床は板張り、天井(写っていないが)は平らで壁は木の枠組みと白い塗り壁という日本風の建築。




運よく窓が開けられていたので、壁の厚みがわかる(窓の白い部分が壁に相当)。




外海の海。



大野教会を見学して、一応目的は達したが、長崎市内へ戻る途中に、ド・ロ神父が日本にやってきて、まず建てた出津(しつ)教会に寄った。



出津教会(1882年完成)。こちらも内部の撮影は禁止。大野教会と同じく、ステンドグラスはなく、内部は和風な感じ。










教会の側面の出入り口のとことに白と灰色の小石が敷かれた部分があるのだが、これは何だったか?




旧出津救助院(のはず)。ド・ロ神父がフランスで学んださまざまな分野の知識をもとに、外海地区の女性の自立のために作った授産施設。編み物、素麺、マカロニなどの加工器具、農具などが展示されている。いつもそうなのだと思うが、シスターが丁寧に説明してくれた。




出津教会(奥)と旧出津救助院(手前)。




出津集落前の海。



長崎市内に戻った後、帰りの飛行機までには若干時間があったので、寺町へ行き、興福寺を訪れた。



興福寺。江戸時代初期に明から渡来した僧によって開かれた黄檗宗の寺。ちなみに、17世紀半ばこの寺の住職を務めた明僧隠元は後に京都宇治に万福寺を開いた。写真は興福寺大雄宝殿(本堂)。




旧唐人屋敷の門。江戸時代、密貿易防止の目的で長崎に唐人屋敷という中国人を収容する居住区が作られた。その遺構はほぼ失われてしまったが、この門が民家の門として残っており、1960年、保存のため中国にゆかりの深いこの寺に移された。




大雄宝殿の前から庫裏の方向を見る。正面に見える魚の形をしたもの(魚板)は僧侶に食事時を告げるために叩いた木彫の魚




三江会所門。明治時代に作られた三江(江南・浙江・江西)出身者の集会所(三江会所)の門。




興福寺境内。正面は鐘鼓楼。