竹原、御手洗(2025.09)
2025年9月初め、広島県竹原と同県大崎下島の御手洗(みたらい)に行ってきた。

船から瀬戸内海の島並を眺めながら移動するのんびり旅をしたかったのだが、北海道から出かけてそれだけで帰るのはややもったいないので、あまり時間をかけずに観光できる場所がないかとグーグルマップでフェリーのルートを調べた。そうすると竹原で古い町並みを見た後、船で大崎上島へ移動、島内をバスで移動した後、再び船で大崎下島へ渡り御手洗の古い町並みを散策するというルートが見つかった。

まず新千歳から広島までは直行便で飛び竹原で宿泊(午後の便なので竹原に着いた時は夕方でこの日は泊るだけ)。



新千歳~広島の機中からの眺め。手前の入り組んだ海岸は若狭湾で、その奥の海のように見えるのは琵琶湖。



竹原は中世から瀬戸内海の交通の要衝として栄え、江戸時代には製塩業も盛んだった。

江戸中期から明治30年代くらいまで北前船の寄港地としても栄え、竹原の塩は各地にもたらされた。ちなみに北前船は大阪~瀬戸内海沿岸各地~日本海沿岸各地~北海道を航行した商船で、各地で産物を買い積み、それを必要としている場所(高く売れる場所)で売るという経営を行った。北前船の時代は商品生産地と消費地の間の価格差が大きく、そのため北前船は莫大な利益を得ることが出来たのだ。竹原市は2019年に日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」の認定を受けていて、古い町並みが残っている。

この日のメインは瀬戸内海の島々の間を船で行くということで、9時発の大崎上島行きのフェリーに乗船する予定なので朝食前に街歩きに出た。



竹原駅前のホテルから15分ほど歩くと街並み保存地区の入口についた。写真に写っている木造3階建ての建物は旧日の丸写真館で1932年頃に建築されたとのこと。あいにく西から台風が接近していたが、幸いまだ瀬戸内地方までは影響が及んでいなかった。




街並み保存地区に入っていくと、このような建物が並んでいる。




”整備された感”が強いが、なかなか落ち着いた町並みだ。




古い家屋を利用したホテル。










ニッカウヰスキーの創業者竹鶴政孝とその妻リタの銅像(竹原は竹鶴政孝の出身地)。




竹鶴政孝の生家である竹鶴酒造。




竹鶴酒造。




竹鶴酒造。







古い洋館もある。




空が何とも言えないよい感じだったので1カット。




竹原のフェリー乗り場。だいぶ雲行きが怪しくなってきて、乗船直前に豪雨になったが、長くは続かなかった。




大島上島へ向けて進む。青空だと良かったのだが、今回は週間予報を見てからの旅程の決定ではなかったので仕方がない。




竹原方向を望む。




中央やや右に高い煙突の立っている島が見えるが、これは東邦契島(ちぎりしま)精錬所。島全体が鉛精錬所で、その生産量は国内最大だそう。