ドウバヤズィット
ドウバヤズィットはトルコの東端、イランとの国境に位置し、ノアの方舟で有名なアララット山(5137m)の麓にある町。この町には1994年7月と1996年8月に訪れている。94年はイサク・パシャ宮殿を見るために訪れ、96年はイランから陸路トルコに入国した際に寄り1泊しただけで観光はしなかった。


(1994年7月) 町のあちこちからアララット山が見られる。




(1996年8月) イラン-トルコ陸路国境越えの後、ドウバヤズィットで1泊した際にホテルの部屋から撮った1枚。写真に写っている山はアララット山。これを撮ったのは8月下旬で7月中旬に撮った1994年の写真よりも融雪が進んでいる。個人的には雪が多く残っているアララット山の方が好みだ。なお、この時は食事のため外出する以外はホテルでのんびり過ごしたのだったろうか。街中で撮った写真は1枚もない。




(1994年7月) アララット山がより美しく見える場所を探しながら町を歩き回った。




(1994年7月) 街並みを抜けた場所からもアララット山を眺めてみた。ドウバヤズィットからの眺めらしいのは、やはり街中からのものという自分なりの結論に達した。




(1994年7月) 当時、ドウバヤズィットにはオトガル(バスターミナル)がなく、街並みが切れた場所にあるバス会社の前がバスの発着場所になっていた。




(1994年7月) この時泊ったホテル。名前は”イスファハン” イランの都市の名前である。何故イランの都市の名前を使っているのか? という感じだが、イランとの国境が近いことが感じられた。みかけは立派だが、部屋は質素な感じでシャワー・トイレ付きで1泊日本円で800円くらいだった。




(1994年7月) 町なかから東の山を望む。山の中腹にイサク・パシャ宮殿が見えるのだけれど、この写真ではわからないか?




(1994年7月) この時はあちこちで少年たちから写真を撮ってくれと声をかけられた。これはその時撮った写真の1枚。




(1994年7月) イサク・パシャ宮殿。オスマン帝国支配のもと、この地域の統治を任されていたクルドの族長イサク・パシャが1685年建設に着手し、100年近くの年月をかけてイサク・パシャの孫の代に完成した。この写真は宮殿を見学した後、山を少し登った場所から撮影したもの。この後、修復が進み屋根がなくなっている部分にはガラスの天井が設置されている。




(1994年7月)




(1994年7月)




(1994年7月) ハレムの入口。




(1994年7月) 一つ上の写真の一部を拡大してみた。レリーフが美しい。修復作行われており、崩れた石材がゴロゴロしていた。




(1994年7月) 宮殿内のモスク。




(1994年7月) 手前はイサク・パシャ宮殿。向こうの斜面にモスクが見える。




(1994年7月)




(1994年7月) ハレム内の部屋。




(1994年7月) 宮殿内のモスクの内部。中央やや右に写っているくぼみはミフラーブか? ちなみに現在はモスク内の床には絨毯が敷かれているようだ。




(1994年7月) ネット上にある近年の写真を見ると、この写真を撮ったあたりには展望所みたいなものが設けられたようだ。ちなみにイサク・パシャ宮殿からはアララット山は見えない。




(1994年7月)