砂漠の摩天楼の町シバームへ

3月6日、シバームへ向かう日が来た。「砂漠の摩天楼の町」と呼ばれるシバームは、イエメン東部ワディ・ハダラマートにある。かつてハダラマート王国の首都だったところで、日干しレンガを重ねた高層建築が並ぶのでそのように呼ばれるのだが、僕はこの町のことをNHKのテレビ番組で知った。

シバームは南アラビアの交通の要衝に位置し、イエメンやオマーンで自生する落葉喬木の樹液を固めた乳香という香料(燃やすと芳香を放つ)の交易ルートの中心として栄えた。乳香は古代エジプト王朝以来、金以上に珍重されたもので、この乳香交易のことをNHKのテレビ番組で扱っていたのだ。それ以来、シバームは気になる地となっていた。

サナアからシバームへは、現在のハダラマート地方の中心サユーンへ飛行機で飛び、そこから車で向かうというのが一般的なルートである。

手に入れたチケットは早朝6時発の便のもの。4時半にホテルをチェックアウトして、空港までタクシーをとばした。

定刻から40分遅れの6時40分に出発したイエメニア機は、7時50分サユーン到着。まずホテルを確保し、それからシバーム観光に向かうことにした。


この町を訪れる外国人観光客が多いためか、パイロットはシバーム上空で旋回してくれた。左の写真の翼の右側に見えるのがシバームである。



1996年当時の街一番のホテル、アッサラーム・ホテルの入り口。予約無しで行ったが、幸い空室があった。1泊10ドル弱(と当時のメモにはある)。



ホテルは確保したが、シバームに行く前にやっておかなければならないことがあった。サユーンからアデンへの飛行機のチケットの購入である。こちらの路線は、アル・イエムダという会社が運行しているのだが、『地球の歩き方』の地図が古いものらしく、地図の場所には営業所がないではないか。

2000メートル以上の高原にあるサナアと違って、ここサユーンはかなり暑い。街中を歩くのも骨が折れる。疲れたのでいったんホテルに戻って涼をとってから、再度、街に出た。


サユーンの中心部(大きな建物は王宮)。



めざすアル・イエムダで、すんなりアデンまでの航空券を確保。

昼食の時間が近づいてきたが、取り敢えずシバームに行くことにした。観光地だし何か食べ物やくらいはあるだろう。

シバームまでは乗り合いタクシーで行ったのだが、その中でシバームに住むという女性2人連れと一緒になった。おそらくは母娘であろうが、シバームに着く直前に娘の方が英語で話し掛けてきた。ちょっと驚きだった。まず、イスラムの戒律の厳しいイエメンで外国人の男性である僕に話し掛けてきたこと、そして、英語のあまり通じないこの国のこんな田舎で、しかも男性に比して社会にあまり進出していない女性が英語を話したことが。。。

何の話をしたのかは、忘れてしまったが、車を降りたあと、町について質問しようとしたところ、そそくさと入り組んだ町並みの中へ入っていってしまった。やはり外国人の男性と話をしているところを、町の人に見られたくなかったのだろうか。。。


シバーム。ここのの高層建築群は、8世紀ころから建てられるようになったが、洪水で何度も流され、現在の建物の大部分は築100年ほどのものだという。現在何とか残っている高層建築群であるが、日干しレンガの建物の維持には、絶えず保存修築工事や改造工事を施す必要があり、ユネスコが保存に乗り出したが、一部の住民の反対運動によって保存計画は中断されている。この貴重な建築物群が、早晩崩壊する可能性もある。



右の白い建物はモスク。こちらは漆喰が塗られているが、白い漆喰塗装は神聖さを表すとともに財力の象徴でもあるという。ということは、左側の建物はほんの一部にしか漆喰塗装が施されておらず、ここの住人はあまり裕福ではないということか?



昼食時だからなのか、街はひっそり閑としていた。観光客も自分以外にはいなかった。



丘の上から望んだシバームの摩天楼。



シバームの街には幸いにして観光客向けのレストランが一軒あった。メニューはなぜか魚の定食。客は僕一人だけで、僕が出ると店じまいを始めた。おそらく僕が来る前にツアー客でも来たのだろう。