マラケシュ

3月4日、エッサウィラを9時40分に出発したバスは、1時30分ころマラケシュに到着した。91年3月以来のマラケシュである。

91年は、ガイドとは自称していなかったが、自称学生につかまり、旧市街を一人で歩くことができなかった。とにかく、多くのモロッコ人が、外国人と見ると寄って来て、「案内をさせろ案内をさせろ」とうるさかった。「ガイドだ」と言って近づいてくるもの、「自分は学生だからガイド料はいらない。話をしたいだけだ」と言って近づいてくるもの、さまざまだった。マラケシュでつかまった自称学生は、報酬を請求してこなかったので、運が良かったといえるが、一人でぶらぶらしたかったので、やはり邪魔だった。でも「一人になりたい」というと、「一人になると、絶対ガイドが近づいてくる。モロッコ人が一人ついていると、ガイドはもう寄ってこないから、自分といたほうがよい」と言って、一人にはさせてもらえなかった。今考えると、かれは本当に善意の人だったのかもしれない。

ジャマ・エル・フナ広場に面したホテルCTMに部屋をとると、すぐに旧市街探訪に出た。『歩き方』によると、悪評高い自称ガイドに対する警察の取締りがきびしくなったとあるが、どうなのだろうと思っていたが、しつこく言い寄ってくる輩はいなかった。



マラケシュのメディナ。とあるお土産屋に入って、エッサウィラ産と思われる寄木細工を買った。「380ディラハム」とふっかけてきたが、価格は産地エッサウィラで学習済み(知人から頼まれていたので1個買った)。値段はどんどん下がり70で妥結(もっと下げられたかもしれない)。








91年に撮った写真。上の写真と同じ場所(だと思う)。




メディナの奥の方にあるベン・ユーセフ・メドレッセ(神学校)。イスラム独特の模様が美しい。



”赤い町”と呼ばれるマラケシュ、建物が皆赤茶色に塗られている。91年撮影。



バーヒア宮殿(91年撮影)。



バーヒア宮殿(91年撮影)。



ジャマ・エル・フナには多くの大道芸人が集まる。このボクシングも大道芸の一種で左側の人は客(91年撮影)。客に思い切り打ち込ませて、芸人(?)側は余裕でパンチをよけるのを見せているらしい。さすがプロだけあって(?)、写真を撮ったこの直後に、ボクシングを突然中断して、僕の方へツカツカと歩いてきて、チップを要求してきた。当然払ったが、人の肩越しに小さいカメラでパッと撮って、すぐに腕をおろしたのを見つけるとはすごいというべきか。こっちに気をとられていたら、客のパンチを浴びそうなものだが。。。広場では、このほか、蛇使い、猿つかい、アクロバットなどが見られる。しかし、写真はなぜか91年に撮ったこの一枚だけ。「ガイドブックにあるのと一緒だ」と思って、只眺めていただけだったので。ところで、その後何度もマラケシュへ行ったが、このボクシング芸(?)は目にしていない。



夕方になるとジャマ・エル・フナにはたくさんの食べ物屋の屋台が出る。



朝のジャマ・エル・フナ。



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