岩木山とりんごの花とワ・ラッセと八甲田丸(2025.05)
青森駅の近くで見たいものがあったので、りんご公園から弘前駅に戻るとすぐに青森駅行きの列車に乗った。



今回青森県を訪れようと思った理由の一つがこれ。贈答用のりんごを入れる段ボール箱を模した小箱に入ったりんごちょこ(リンゴ果汁は使用しておらずりんご香料が使われているだけみたい)。母親が青森へ行った際買ってきて箱が気に入ったらしく、ホッチキスとか爪切りとかの小物入れとして使っていた。どんな味のチョコなのか気になっていたので、これを買ってこようと思った。青森空港に到着した際、バスまで少し時間があったので空港の売店で探したが売られていなかったが、弘前のりんご公園のショップで売られていたので購入(青森市内の土産物屋などにはあるのだろうと思うが)。味はそれほど”りんご”が強調されたものではなかった。



青森駅を出るとすぐに、駅近くにある「ねぶたの家 ワ・ラッセ」へ向かった。この施設はねぶた祭の歴史や魅力を紹介するためにつくられた施設で「ねぶたミュージアム・ねぶたホール」がメインの見どころ。広大なスペースに、毎年、祭本番に出陣した大型ねぶたが常設展示されており、ねぶたのパーツ、制作者の特徴が見て取れるねぶた面のなどが並ぶ。



「ねぶたホール」に続く続く通路。天井から金魚ねぶたがつるされている。




大型ねぶた8月のねぶた祭りの後、その年のねぶたに展示替えされているようだ。




ねぶたの特徴などを説明する展示の一部。







大型ねぶたとねぶたの面(右に並んでいるもの-製作者により違いがあるとのこと)



ワ・ラッセを見学した後、青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸を見に行った。連絡船として現役で運航していた頃の痕跡を感じたくて行ってみたが、ほぼ博物館という感じで、自分にとってはやや物足りなかった。









グリーン指定席。昔のまま見られるようになっていたら、と思うのだが。。。
升席は完全な展示スペースになっていたし。




寝台室。深夜の便を利用する機会が多く、その後の長旅のことを考えて寝台を使うこともあった。3時間半くらいしか寝られないのだけれど(青森-函館の所要時間は上りが3時間50分or55分)、ここでの仮眠はけっこう大きかったという記憶がある。中まで入って見られないのは残念だった。




操舵室(ブリッジ)。背中が見えている船員はもちろん人形。個々が見られる操舵室が見られるというのがセールスポイントのようだが、自分の興味はやはり昔利用した船室とか食堂とかデッキとか。




車両甲板。連絡船は地上の線路からレールをつかって車両そのものを積み込むことができるという特徴があった。これも八甲田丸展示のセールスポイントのよう。




車両甲板にのせられたのは基本貨物車両だが、ここには特急列車の車両も展示されていた。




八甲田丸。



青函連絡船は1988年3月13日で廃止されたが、その直前(たぶん3月だと思う)、連絡船に乗りに行くことが出来た。当時、網走に住んでいたのでどういう日程で行ったのかと思うが、1日目は網走から札幌へ移動し実家泊、2日目朝特急北斗に乗り昼前函館着、12時15分発の連絡船に乗船し16時10分青森到着(実家に1987年6月の北海道版時刻表があったので運航スケジュールが確認できた)。その日のうちに函館行きの連絡船に乗ったはずだが、その時間帯だと札幌行きの列車はなく、函館に泊るしかない。そして3日目に函館から札幌へ移動し、さらに網走に戻ったと思われる。土曜の午後に出発すると(午前中は勤務-週休2日の時代ではなかた)、休暇取得は月曜1日のみで済んだので、そのようなスケジュールで行ったのだろうか? 



函館駅。列車から連絡船への乗り継ぎ。時計の針は11時55分をさしており、その朝札幌をたち、12時15分発の連絡船に乗船したことがわかる。




函館出港。廃止直前ということで見送りというか見物の人が多かったのか?




保存展示されている八甲田丸でも、こういう場所を歩いて昔を懐かしむことができればと思ったが、それはかなわなかった。




函館。




グリーン席(指定席)。




グリーン席(自由席)。普通船室や普通船室とグリーン船室の升席の写真は撮らなかった。




左のカーテンのあるところは寝台室の入口(寝台室の中は上に載せた写真の通りのつくりになっている)。




青森に近づいて来た。







自分の乗った船はたぶん第2岸壁(3つの岸壁があったことを今回調べて初めて知った-第3岸壁は貨物専用)に到着。長い通路というか跨線橋が見えるが(ちょっとわかりにくいですが)これは第1岸壁と列車ホームとをつなぐ通路。青森駅では列車を降りてから乗船口まで、もしくは連絡船を下船してから列車までかなり長い通路を歩いた記憶があるのだが、第1岸壁を利用した時の印象が強いのだろう。




第2岸壁から列車乗り場までの距離は第1岸壁からのそれよりはだいぶ短い(今回調べてみて初めて確認)。青森駅を出る乗客は、ホームをずっと歩いて行き(駅舎はホームの端寄りにあった)跨線橋を渡って行かなければならなかったので荷物の多い人はけっこうたいへんだったのかもしれない。この時の自分はとんぼ返りだったはずで、青森駅の改札を出て帰りのチケットを買ったと思う。




青森駅の一番海側のホームから今しがた乗ってきた八甲田丸からコンテナを積んだ車両を降ろすところが見られた。



終わり。