マクタール

<4日目(8月19日)>
9時すぎチェックアウト。この日は満室ということなのでホテルを移り、荷物を置いてすぐルアージュステーションへ向かった。なるべく早くルアージュをつかまえなくてはならない。今日行く予定のマクタールへの交通の便がかなり悪そうなのだ。

9時半ころルアージュステーション到着。運良くマクタール行きのルアージュは、すぐに客席が埋まり、9時40分には出発した。

マクタールは標高1000m近い高原に位置する古代都市であり、さわやかな風に期待できそうである。古くはマクタリスとよばれ、紀元前2世紀にヌミディア王国が築いた砦に起源がある。1世紀には、チュニジアの他の遺跡同様ローマ人の支配下に入り、2世紀後半に大都市に発展した。現在見られる遺跡の建造物は、その2世紀に築かれたものがほとんどということである。

11時10分ころマクタール到着。小さな街に隣接して遺跡はあった。



マクタールの遺跡の入口前。正面に見えるのはローマ時代に築かれた凱旋門バブ・エル・アイン。




遺跡の小さな博物館に展示してあったモザイク。




遺跡の入口からすぐのところにある円形闘技場。こじんまりとした闘技場である。




フォーラム(手前の広場)とトラヤヌス凱旋門。116年にゲルマン民族などへの勝利を称えてトラヤヌス帝にささげられたもの。こちらは裏側。門だけがポツンとあるのがかえって趣があってよい。







正面から見たトラヤヌス凱旋門。




2世紀後半に建設された共同浴場(のはずです)。




これも同じ共同浴場のはずです(記憶が定かではありません)。カルタゴの共同浴場と並ぶチュニジアでもっとも保存状態のよい浴場とのこと。







日差しは強いが吹き抜ける風は気持ちがよかった。







遠くに見えるのはトラヤヌス凱旋門。これといった巨大建造物はなかったが、遠くまで見渡せるところにあるなかなかの遺跡だった。左の円柱はスコラ(若者の学校)か?




スコラ(若者の学校)か?




マクタール遺跡(mp4=4.5Mb)。



12時15分ころ遺跡をあとにした。すぐにケロアンにもどって街歩きをしたいが、そうそう順調に旅程はこなせなかった。ケロアンへ向かうルアージュがないのだ。バスは夕方までないというし。。。



ルアージュが何台か並んでいたが、全部が客待ちをしているわけではなく、ケロアン行きもなかった。




マクタールの街。



ルアージュがいつ突然やってきて、あっという間に客が集まって出発するかわからないので、ルアージュの出る一角で、チョコレート菓子をかじりながら、ひたすらルアージュが来るのをまった。車が来るたびに「ケロアン?」といって尋ねるが、いずれも答えは「ノン」だった。

そうこうしているうちに客待ちをしている、スース行きらしいルアージュの客のおじいさんが、「ベトナム人か?」と尋ねてきた。「日本人だ」というと、話はそこで終わり、「ケロアンまで10だ」とやたら高い金額を言ってきた。来るときは5デイナールで来たから、とんでもない金額だ。「このおっさんドライバーとグルになってぼったくろうとしているのか?」と思い、「ノー」と答えた。

その車のそばを離れまた待った。2時間半くらいたって、さっきのじいさんが乗っている車からまた声をかけられた。今度はケロアンまで「6」で行くといっている。どうやら客がまったく集まらないので、料金をさげてきたらしい。6なら乗るしかあるまい。交渉成立である。

14時半、ようやくマクタールを出発。さっきのじいさんの話をよく聞くと、彼はベトナムでフランス軍に従軍したらしい。どの時期にどのようにベトナム戦争に関わったのか気になったが言葉の問題もあって聞くことはできなかった。



マクタールからケロアンへ向かう途中の道路脇のスイカ・メロン売り。