ルクソール(2)

(3月9日)
この日もルクソール観光。午前中は自転車で再び西岸の遺跡巡り。



メムノンの巨像。西岸に渡ってしばらく行くとある。新王国の王アメンホテプ3世のもの。もともとはこの像の後ろに彼の葬祭殿があったが、後の王たちが石材として利用したため、その遺構は見られない。ご覧の通り像の風化が進んでいる。



まず、ラムセス3世葬祭殿へ行った。



ラムセス3世葬祭殿の入口(シリア風の建築様式で建てられた門)。全体がわかる写真を撮ればよかったと後悔しているが、おそらく修復工事の足場があって美しくないので左の方は写らないように撮ったのだろう。




門の所の通路の両側にあるライオンの頭のセクメト女神。現在はロープで囲まれているようだ。陽気な西洋人のおじさんに「記念写真撮るだろう? 撮ってあげるよ」と半ば強制的に撮られてしまったような記憶がある。シャツの袖をおろしているが、前日の日焼けに懲りたためか?




それほど大きくはない門を通ると巨大な第一塔門が現れる(高さ22m。幅63m)。




門の左側には海の民を破ったラムセス3世の戦いレリーフがある(はっきり見えませんが)。
















どういう順序で写真を撮ったのか忘れてしまったが、ここまでがラムセス3世葬祭殿のはず。



続いてラムセス2世葬祭殿(ラムセウム)へ行った。近年撮られた写真で見られる光景とは異なり、まだかなり荒れた状態だった。














続いてセティ1世葬祭殿へ行った(セティ1世葬祭殿はアビドスにあるものの方が有名らしい)。



セティ1世葬祭殿







ナイル西岸からルクソール神殿を望む。この後、フェリーで東岸に戻った。



午後は徒歩で東岸の重要な神殿、ルクソール神殿へ行った。

ルクソール神殿は、年に1度、ナイル川の増水期にアモン神が妻のムト神と過ごすために訪れるオペト祭のためにつくられた、カルナック神殿に付属する神殿で、そのため、カルナック神殿とルクソール神殿の間は祭礼用の参道で結ばれ、ルクソール神殿には現在もその一部が残っている。

付属の神殿でありながら、このルクソール神殿もまた大きい。

神殿域内に入ると、第一塔門の前の1本のオベリスク(アモン・ラー信仰のシンボル)が目に入る。もともと2本あったのだが、向かって右側の1本が、1836年、エジプト総督ムハンマド・アリによってフランスに寄贈され、現在はパリのコンコルド広場に立っている。

ところで、この神殿に来た時間が悪かった。オベリスクやそのすぐ後ろの、ラムセス2世像の写真を撮ろうとすると逆光になるのだ。道理で外国人の団体が少ないわけだ。

ラムセス2世像のある第一塔門から第一中庭を通りさらに奥へ進むと、そこにはまた巨大な柱が並んでいる。パピルス型の柱頭やシュロ型の柱頭もすばらしいといわれているが、そんな知識は持たぬままルクソールに行ったので、ここでもその巨大さに圧倒されるばかりだった。



ルクソール神殿第一塔門。近年の写真を見ると、ここに写っている崩壊した像が復元されているようだ。アブシンベル大神殿がダムの建設によって沈んでしまうのでそれを切り分けて高い場所に組み立てた際、地震により落下していたラムセス2世像の頭部を落下したままの状態にしておいたのとは復元思想が異なるのか?




オベリスクの左側にたたずむおじさんがいい感じ。







時間帯が悪いせいか外国人観光客はあまりおらず、エジプト人観光客が目だった。







神殿内にモスクがあった。




第1塔門を背にして撮った写真。この道がカルナック神殿との間を結ぶ参道?



ルクソール神殿を出た後はルクソールの街歩きをした。



遊園地っぽい場所にあったブランコ。