Top

僕が高度プロフェッショナル制度のような条件で働いていたこと

  • Posted by: オフ
  • 未分類

高プロはまだ導入されていませんが、すでに高プロ同様の労働条件になっている職業があります。それは教員です。中学の教員のブラックぶりの報道を目にすることも増えています。

公立学校の教員は一般公務員より若干賃金が高く設定されいます。しかし、その代わり残業代はなしです。

社会人になってからほとんどフリーランスだったのですが、実は1980年代後半にほんの一時、北海道の地方都市で公立高校の教員をしていました。

確か朝は8時10分くらいから会議(その日の連絡事項の確認など)があり、その後、何コマか授業をこなし、15時半くらいから部活の指導(とはいっても生徒の横で見ているだけということが多く体力的にはたいしたことはないー当時は生徒が自主的にやることができる能力のあるような高校では教員がつきっきりということはなく、職員室で自分の仕事をすることが可能という雰囲気でしたが、自分の勤務していた高校は生徒の自主性がそこまでのものではなかったので、ほぼそばにいなければいけない状況。おそらく現在は何かあったらということで、常に生徒と一緒でなければならないという感じでしょうか?)

通常、18時ころには部活終了。この時点で朝から拘束10時間ですが、これで帰宅できるかというとそうでもありません。(なお、昼休みは仕出し屋の弁当をかきこんでから仕事というのが基本でした)

田舎だったのでバスの便の終了が早く、遠距離通学の生徒が終バスを逃してしまうこともしばしばで、自分の車で送るなどということも(生徒も車で送ってもらいたいものだから、ダラダラと活動を延ばすこともー「しょうがないなあ」とダラダラを黙認していたことは否定できませんが)

学校では授業と部活の指導以外に、色々な担当があって、自分は、おそらく一番仕事が多かったであろう生徒指導部で、生徒会担当でした。1学期は夏の学校祭に向けての準備があります。そして、生徒の問題行動も比較的多い学校でしたので、それへの対応のための会議、問題行動を起こした生徒との面談などにも時間を割かなければなりませんでした。

そんなわけで、授業のない時間も完全にあいているというわけではなかったです。

自分は新採で授業の準備にも時間がかかりましたが、さまざまな雑務があり、授業の合間の時間だけでは足りず、夜、学校に残って、さらに帰宅後にも教材研究、生徒に課題を提出させたときはそのチェックなどをするということが多かったです。(ちょっと記憶が定かではありませんが、帰宅してから仕事ということが多かったかもしれません)。

当時は週休2日制ではありませんでしたから、土曜日も出勤です、そして午後はいつもより長い部活。

そして日曜日。午前のみ、午後のみということが多かったように思いますが、部活です。これに対しての報酬ですが、支払いの主体がどこだったかは忘れましたが、500円が支払われるだけでした。

というような感じで毎週・毎週がすぎていきました。新採の年は4月からほぼ休みなしで、6月下旬、祖母の葬儀でやっと休むことができたのを覚えています。

比較的規模の大きな学校で教員数が多かったので、すべての教師がこういう忙しさというわけではなかったように思います。新採だったので忙しい仕事を割り振られたという面があったのだと思います。

それでも、若い先生が多く、何か「サークル活動をやっている感」というのもありました。仲間に恵まれていました。

実は自分が受け持った部活は演劇部で(演劇の経験はありません)、秋の高文連(生徒の求めに応じて脚本を書きましたーけっこう楽しんでいました)が終わると割と活動時間も短くなり負担が減ったような記憶です。生徒会の方も行事があまりなく忙しさは緩和されたと思います。

しかし、自分の時間がほとんどないという状態で(特に1学期)、あれが長く続いていたらどうなっていたか。色々考えることがあって、すぐに退職したので、けっこう思い出の部分が多い感じではあるのですが。

現在の先生方は保護者からの要求のレベルもあがっており、どれだけ大変なのだろうかと心配になってしまいます。

高プロが導入されると、今以上に自分の時間を持てない人が増えてしまうでしょう。自分の場合、職住が接近しており、通勤時間は10分に満たなかったのですが、上に書いたように半ば仕事漬けという状態におかれて、さらに通勤に往復で2時間とかなると、体力的・精神的にもたなくなることは容易に想像できるところです。

高度プロフェッショナル制度

  • Posted by: オフ
  • 政治

最近、政治に関するニュースを見たり聞いたりするとため息ばかりが出てきます。

公文書を改ざんして不起訴? 刑法の想定しない異常事態ということなのかもしれないが。。。日本は本当に民主主義国家なのか? 国会で徹底的に真相究明しなきゃいかんだろ、これ。

加計の問題も嘘で塗り固めて逃げ切る気満々だし。。。私学助成という形で自分が払った税金の一部が回されると思うと。。。

日大アメフト部のことばかり報道するマスコミ。同じ熱量で政治にいついても追及しろよ。。。

さて、色々ありすぎて頭が整理できない状態ですが、現在、最も緊急を要するのは高度プロフェッショナル制度の問題。

政府は「働き方改革」とか言っていますが、これは「働かせ方」の改悪。

自分は社会に出てからこの方、ほぼフリーランスという立場にいたし、今後もどこかの会社に所属して働くということはないと思うので、直接的には関係がありません。でも、自分の身内、近しい人たちがひどい労働環境に置かれるようになるかもしれないのに、傍観しているわけにはいかないということで、反対のデモにも何度か参加しています。

「高度プロフェッショナル制度」の問題点は、労働基準法にある規制がはずされてしまうということ。成果に応じてとか報道されていますが、これは単に政府のいうことをマスコミがそのまま流しているだけで、実際には「これだけやりなさい→やったら約束した賃金を払う」ということです。当然、経営者としてはなるべく安く働かせたいので、「これだけやりなさい」というラインは高く設定されるにきまってます。そのラインにいたるまで、どんなに時間がかかろうとやりとげなければいかんよ、というのが経営者側の立場です。いままでだったら、期限までにやならければならない業務をこなすため、労働者に残業を命令→残業代の支払いということになったわけですが、高度プロフェッショナル制度ではこうならないのです。成果ラインが非常に高く設定されると、労働時間はとてつもなく長くなる恐れがあります。しかし、労働基準法の適用除外となるので「残業」という概念がなくなり、定額の賃金が支給されるだけです。それで法律上問題なしになっちゃうのです。

こうした働き方(働かせ方)の対象者は拡大される可能性が濃厚です。経営上対象者を拡大させたい経済団体(経団連とか)は、自民党に多額の政治献金をしています。なんの見返りも期待せずに献金をするはずがないと考えるのが自然でしょう。まあ、そういうことなのだと思います。

で、対象者ですが、所得が1075万円以上の労働者が対象とか言われています(実際に法案に金額が明示されているわけではない)。しかし、省令で変更が可能です(国会の議決を経なくても変えられるということですー簡単に変えられちゃうということです)。

高度プロフェッショナル制度を適用するかどうかは、使用者と労働者の話し合いで決めるから、そこで労働者が同意しなければよいので心配はないというのが政府の言い分です。しかし、使用者(会社)との話し合いで、そのオファーを拒否できる労働者がどれくらいいるでしょうか? ほとんどいないでしょう。労働者は弱い立場であり、守られるべき存在だからこそ労働法制もあるわけで。

正確ではない部分もあるかもしれませんが、ざっとこんな感じです。しかし、テレビのニュースなどではほとんどふれられません。特に民法はスポンサー企業が高度プロフェッショナル制度導入支持でしょうから、それにたてつくようなニュースの構成にはしにくいのかもしれません。この手の報道は経営団体と無関係なNHKが頼みの綱なのですが、いかんせんNHKはすっかり政府の準広報という感じです。新聞はある程度詳しく書いているかもしれませんが、忙しくて細かいところまではという人が多いでしょう。つまり、高度プロフェッショナル制度の問題点は浸透していないというのが実情ではないのかと思います。

この法案はすでに衆議院を通過してしまいました。止めることはかなり難しくなってきましたが、世論の盛り上がり方次第では止められる可能性もあるのではと思ってます。

ということで、こんなネットの片隅ではありますが、ちょっと書いてみました。

難民支援協会主催のチャリティ・ランに参加した

  • Posted by: オフ
  • 未分類

もう2週間がすぎてしまいましたが、13日、アウェイFC東京戦の前、認定NPO法人・難民支援協会主催の皇居外周路チャリティラン(参加費が支援金となる)に参加してきました。

皇居外周は今や市民ランナーの人気練習コースとなっていますが、交通費をかけてわざわざ走りに行く気はせず、いままで3回くらいしか走ったことがありません(3回も行ってる、ともいう)。しかし、難民支援協会ではボランティアを行ったこともあり、たまたまスケジュールがあいたので参加することにしました。

それで、主催者から「日本にも難民がいて助けを必要としていることを多くの人に認識してもらいたいので、そのきっかけとなるよう、今回参加した皆さんに、このイベントのことを色々な形で発信してもらえるとありがたい」というようなことを言われたので、ちょっと時間がたってしまいましたが、ここに書き記しておきたいと思います。

皇居近くにはランナー向けの施設がいくつかあり、地下鉄日比谷駅に直結したところにあるところでロッカーを借用。そこで着替えてから集合場所の日比谷公園へ。

参加者は200名強。開会式では、ゲストの瀬古利彦さんが挨拶(お忙しいので挨拶のみで走られなかった)。

イベントではランとウォ―キングがあり、ランは5キロと10キロ(皇居一周がちょうど5キロです)。最近、精神的に忙しいこともあり、せいぜい週に1~2回、1回に5~6キロくらいしか走っていないので、5キロコースに参加しました。後で味スタに行かなくてはならないですしね。

その後、桜田門の前の広場(というのだろうか)に移動してスタート。この日は休日ですし、もちろん、貸し切りではありませんから、途中の狭いところでは、他のランナーと譲り合いながら走ります。

30分弱で一周完了。その後もイベントは続きましたが、一度帰宅して、着替えてから味スタに行かねばならないということで、参加賞をもらって帰路につきました。

さて、日本にもかなりの数の難民が来ており、難民支援協会とは文字通りの活動をしているNPOです。

以下、難民支援協会のホームページから、ちょっとだけその活動について引用しておきます。

「JAR(難民支援協会)は、母国を追われた難民が失った権利を回復することを目指し、支援に取り組んでいます。難民は、人として、また難民として、基本的な権利を持っています。たとえば、自由と安全が確保され、命の危険がある母国に送還されず、医食住等が保障され、家族が一緒に暮らせることなど、多岐に渡ります。
 難民のように、支援が行き届きづらい人々を支援することは、JARの事業の柱です。しかし同時に、難民は支援されるだけの人ではありません。支援を必要とする人はしっかりと支えられ、一方でそれぞれの持つ強みを活かして社会の一員となる、そのような未来を作ることを目指し、JAR は活動を展開しています。」

以上、難民支援協会から与えられた「発信」というミッション終了。

PCのHDDをクローンSSDに交換した

  • Posted by: オフ
  • 未分類

今のPCはたぶん8年くらい使っていると思う。

もともとはwindows7だったが、その後、windows10にアップグレード。

大きな不具合はなくちゃんと動いてくれてはいるが、いかんせん遅い。なかなか立ち上がらないし、シャットダウンも「あれ? ちゃんとシャットダウンしたよな?」という感じで、いつまでもハードディスクが回っている。

そろそろハードディスクも寿命が近づいて来ていると思うし、買い替えを考えたが、HDDのクローンSSDを作って換装すると驚くほど速くなるということをたまたま知った(そんなにPCに詳しいわけではないし、それほど興味があるわけではないので、そちら方面へのアンテナは全然張りめぐらしていなかった)。

PCのスペックは今のままで十分だし、万が一換装に失敗したら新しいPCを買えばよいだろうと思い、換装を実行することを決意。(自分のPCは交換の際、内部をいじらなくてもよい形なので、換装失敗はクローン作成の失敗くらいしか想定できず、その場合、HDDは生きているので、しばらくは現在のままのPCで我慢することも可だし)

さて、現在のPCのHDDは300ギガで、実際使用しているのは130ギガくらい(デジカメ画像などはいったんPCに入れるが、基本的には外付けのHDD2台に同じものをコピーして、順次PCのデータは消去しているー心配性なのでバックアップ用のHDDをもう一台買おうかと思案中)。

このHDDのデータをSSDにまるごとコピーする(クローンを作成する)ためのソフトはフリーソフト(AOMEI backupper standard)を利用。

使用したSSDはサムスン860EVOの250ギガのもの。もとのHDDより50ギガ容量が少ないが、ネットで色々調べたところ自分のHDD使用状況だと大丈夫そうなので購入(8315円)。もしデータが納まりきらず、クローン作成に失敗したら、もう一台購入しようと思っていた外付けのディスクとして使用すればよいと判断。

少しドキドキしながらクローン作成を実行(その前にSSDのフォーマットが必要、また、SSDとPCをつなぐためにケーブルもしくはSSDのケースが必要ー自分はケースを購入→クローン作成に失敗した場合これに入れたまま、外付けディスクとして利用できる)。

2時間強でクローン作成終了。

で、再び少しドキドキしながら、HDDとSSDを入れ替え。(PCによってこれが簡単なものと、少し面倒なものがあるようだが、自分のPCはHDDの交換が前提のような造りになっており、HDD部分の蓋をはずすだけで交換ができたーだから自分でやる気になったのですが)。

交換終了後、PC立ち上げ。

速いです。

ところで換装の詳細はネット上にとても詳しい記事がたくさんあるので、そちらにあたってもらった方がよいかと。

一写入魂の頃~ギルギット(パキスタン)

97ギルギット

1997年夏、アジア陸路横断の未踏破区間であるイラン-パキスタン間を旅した(詳しい内容は鋭意作成中の本編で)。

写真は、その旅のゴールとなったギルギットで撮ったもの(ギルギット川にかかるつり橋からギルギットの街を望んだ)。

例によって、やたらとフィルムを使うのを避けるため、丁寧に構図を決めて撮った(のだと思う)。

しかし、おそらく、このときは、橋を歩く人がこちらに向かってきており、向こうに歩いていく人の後ろ姿を画面に入れようということでもう1枚撮ったのだと思う。それが次の写真。

97ギルギット2

微妙な露出の加減でモスクのミナレットとか山とかがやや不鮮明になってしまった。でも、後ろ姿の男性のお蔭で1枚目よりは動きが感じられるカットになっているかも。

デジカメだと、いくつかのパターンを試すことができるのだけれど、フィルム節約の旅をしていた自分にとって、ここは2カットが限度。

でも、上の写真には満足している。少なくとも、あの時自分が感じた空気感は思い出すことができるので。

一写入魂の頃とは

Index of all entries

Top

Search

Feeds

Return to page top