奈良・浄教寺
上の写真は近鉄奈良駅からほど近いところにある浄教寺というお寺。
母のアルバムにここの写真があり、そこに写っているソテツを見て行ってみたくなった場所である。
それで、この寺を見ることを主目的に先日ふらっと奈良へ出かけてきた。例によって天気予報サイトを見て、酷暑がおさまってきたこと、雨にたたられることがないことを確認したうえで、飛行機の空席状況をみると、幸い席に余裕があったので訪れることを決めた。
浄教寺の本堂は昭和戦前期に焼失しており、その後再建に着手、1968年に竣工。山門は幕末期に建設されたもの。有名な文化財が沢山ある奈良にあってはまったく目立たぬ存在だ。
しかし、実は隠れた名所で写真にあるように、本堂の前には立派なソテツがある。浄教寺のホームページによると樹齢300年余りとのことで、写真にある通り一つの株から多く一つの幹が出ている。そういえば、長崎の興福寺にも立派なソテツがあったが、あちらは南国九州、こちらは奈良ということで珍しい感じがする。
それから、今回初めて知ったのだが、ここ浄教寺本堂で、日本の古美術復興に力を尽くしたフェノロサが、1888年、日本の仏教美術の素晴らしさを説き、その保護の重要性をうったえる「奈良ノ諸君ニ告グ」という講演を行っている。
調べてみるとそれなりに有名なお寺だということがわかったが、母とその友人は、それらのことを知っていて訪れたのだろうか? 宿泊したホテルから近いところにあり、散歩がてら出かけたのだろうか、それともガイドブックに載っていたのだろうか? そんなことを思いながら、浄教寺をあとにした。
My こころ旅
視聴者から寄せられた手紙につづられた思い出の地などを俳優の火野正平さんが自転車で訪れ、その場所でその手紙を読むという番組だ。
今、少しずつ両親の残した写真を見たりスキャンしたりしているが、アルバムをチェックしてみて、けっこうあちこちへ出かけていたことを改めて知ることが出来た。
僕は東京へ出てからしばらくは、帰省の頻度はとても低く正月やお盆すら帰らないという年が続いていた(お盆や正月の時期の仕事を敢えて断らなかった)。そのせいもあって両親のお出かけについてはあまり把握していなかった。海外へ行くときは計画段階から知らせてくれたので一応把握していたが。
また、父が亡くなった後、母は学生時代の仲良しと出かけることがけっこうあったようで、それについては割りと把握しているつもりだったが、やはり写真を見て初めて知るものもあった。
僕が一緒に行って思い出を共有しているわけではないのだが、両親が訪れた場所で僕が行ったことのないところを訪れ、「こんな場所に来たのか」と感慨のようなものに浸りたいと思い、ちょこちょこと出かけている。テレビ番組の『こころ旅』とはかなり趣向が異なるが、自分にとっては十分『こころ旅』だ。
上の写真は山の辺の道にある桧原神社の近くの風景。
両親が京都・奈良を旅した際、なぜか桧原神社から桜井駅までという半端なルートを歩いていることをアルバムを見て知った。
「山の辺の道」は『日本書紀』にも見える古道で、奈良盆地の東に連なる山々の裾を縫うように、三輪山の麓から奈良へと通じる道。この道はは高校の修学旅行の自由行動の日に一部歩いたことがあったが、両親が歩いた場所は行ったことがなかったので、6月、急に思い立って訪れてみた。雨の中を歩くのはいやなので、天気予報で晴の確率が高いことを確認してから航空券を購入した。
新千歳から関空に飛び、大和八木駅近くで1泊して翌日山の辺の道へ向かった。午後の飛行機で北海道に戻るので時間があまりなく、両親が歩いたルートに絞ってあるこうと巻向駅から桧原神社へ向かって歩き出した。
両親のアルバムには上の写真と同じあたりにあったと思われる「大和の青垣」の案内板の前で撮った記念写真が残っており、それを探してこの辺りを歩き回ったのだが、近年、その案内板はなくなったようで、場所を特定するのにかなり手間取ってしまった。
ちなみに、奈良盆地の四周を囲む山地は、昔から青垣山と称されていて、奈良盆地の東部に発達する丘陵地帯を中心とした地域は1970年に大和青垣国定公園として指定されている。そのことを記した案内板が少し前まであったのだがなぜ撤去したのだろうか?
この後、大神神社・平等寺を回り、桜井駅まで歩き、関空に移動し札幌への帰途についた(けっこうあちこちで写真を撮ったのでそのうちホームページの方にアップする予定です)。
6月末には自転車で札幌市内の百合が原公園に行ってみた。母が学生時代からの仲良しと出かけたときの写真があり、どんな場所なのだろうと思ったので。
上の写真は百合が原公園と僕の自転車。
百合が原公園はかなり広大な公園で、あちこちに季節の花々が植えられていて、また、園内をリリー・トレインなる乗り物(ちゃんと線路の上を走る)もあって、いつも多くの市民でにぎわっているようだ。
7月の初めには日帰りで道東の霧多布岬へ行ってきた。
両親は車で道内をくまなく回っており、僕が行ったことのない場所も多い。
道内の観光地は公共の交通機関ではアクセスできない場所も多いのだが、霧多布の街から岬までの区間を除くとほぼ公共の交通機関のみでアクセスできるので行くことにした(時間がたっぷりあれば岬まで歩くのも無理というわけではないが時間が限られているのでタクシーを利用した)。
なお、夏季の霧多布は霧の日が多いので、入念に天気予報をチェックして出かけた。
上の写真は霧多布岬。花も咲き乱れていて、一番良い時期だったと思う。
上の写真は花越しに撮ったラッコ。コンデジの10倍ズームレンズで撮ったのだが、これが限界。お腹というか胸の上に子供を抱いているさまはわからないか?(肉眼では子供を抱いているさまが見えたのだが)
この小旅行は札幌から日帰りで出かけたのだが、色々と写真を撮ったので、そのうち旅行記をアップするつもりです。
何か立て続けで小旅行へでかけているが、7月前半、東京の自宅のチェックに行くついでに大分の国東半島へ出かけた。全然、ついでという感じではないが、新千歳から大分までの航空券は乗り継ぎ割引になるので、ついでなのである。
国東半島へは学生時代に行ったことがあるのだが、両親のアルバムを見るとやはり行ったことがない場所の写真があり、行ってみることにした。
昼過ぎに大分空港に到着して、夕刻の飛行機で東京へ飛ぶ予定である。6時間くらいしかないが、空港が国東半島にあるので、国東半島の何か所かをめぐるだけならば十分である。レンタカーが必須だけれど。
今回も例によって天気予報をチェックして晴れることを確認してから航空券を購入した。
今回の目的地は熊野摩崖仏、天念寺とその前にある石仏、両子寺。
上の写真は熊野摩崖仏。学生時代以来の訪問だから40年ぶりくらい。木が生い茂っていて不動明王像の顔がちゃんと見られなかった(何か処置を考えているという張り紙があった)。
上の写真は天念寺の前を流れる長岩屋川の川中不動。学生時代に国東半島へ行ったときは、路線バスを利用して観光することが可能だったのだが、本数が少なく、ここは訪れることが出来なかった。
上の写真は両子寺。ここも学生時代に訪れている。
この後、空港まで戻り東京に飛び、1泊後札幌に帰った。この小旅行もけっこう写真を撮ったので、そのうちホームページの方にアップする予定です。
上記のお出かけのうち、札幌の百合が原公園は近いので別として、そのほかの場所もすべて日帰りか滞在24時間以内。何とももったいないお金の使い方だが、母とすごした最後の何年か、所要があって東京へ出るとき母を一人にする時間をなるべく短くするため、1泊2日か日帰りで帰宅していたときの感覚が染みついて、いまだに実家を3日以上あける気にはなれないでいる。もう家に母はいないのに何か留守番させている感じなのだ。他人が見るとさぞかし奇妙に思われるだろうが、そんな変な感覚が残っている程度の母の死後の精神的落ち込みからの回復状態ではある。
まだまだ、父と母の足跡を訪ねる旅には行きたいと思うが、これから1カ月半くらいは酷暑が続き、おまけに新型コロナ感染の大流行という状況もあり、その後は台風シーズンがやってくるのでしばらく休止して、10月の半ばくらいになったら天気予報を見ながら再開しようかと思う。
京都でサイクリング
先月末、4月の桜の時期に続いて、母の写真とともに京都を訪れた。
4月に訪れた時は大雨のため、生前母を連れていきたいと思っていた場所に行くことは諦めて帰ってきたのだが、やっぱり行きたいと思い2か月たたないうちの京都再訪となった。
母を伴っての京都旅行の計画には色々と制約があった。
脚力が弱っていたので移動はすべてタクシーを利用するのは当然として、タクシーを降りた後、長い距離を歩くのは困難で、また、距離は短くても急な石段を上り下りすることも困難。できれば車椅子で動くことが出来る場所がよいが、そういう寺社は少ない。また、名所・旧蹟を見るのか観光客を見るのかわからないようなラッシュ状態の場所は避けたい。
そういう条件を考えたとき、自分の頭のなかに浮かんできたのは真如堂。春の桜はそこそこ美しく、秋は紅葉が素晴らしい。ここ10年くらいは京都の一層の観光化のなかで、そいう季節はけっこう観光客が多くなっているようだが、嵐山・嵯峨野とか清水寺界隈のようなラッシュ状態にはならないはず。境内はそんなに広くはなく、ところどころに座って休むことが出来る場所があるので母と一緒に行くには良い場所だと思っていた。
実は4月に京都を訪れた時に、亡くなった母の写真とともに行こうと思っていたのは、その真如堂である。
紅葉が綺麗な場所は青もみじも美しい。ということで、真如堂で青もみじを見るたtめに京都へ出かけた。
しかし、天気がよくないと綺麗な青もみじは見られない。なので、週間予報でほぼ間違いなく晴れるとわかった段階で出かける日を決めた。
直前だと航空券は高いものしかないが、そういうときに役に立つのが株主割引券。
新宿の金券ショップは激戦のためか、株主割引券がかなり安くなっており、常に一定の枚数確保してあるので、それを利用。
現在は実家の維持・管理のため基本札幌にいるので、新千歳から出かけることになる。新千歳-伊丹空港・関西空港の便に使われている機材は小さいので座席数は少なく、多くの客にとって便利だと思われる新千歳-伊丹便は直前だとあまり空席がない。ただ、新千歳-関空便はけっこう空いていることがことがあり、なおかつ、新千歳-大阪便は基本観光客用の路線なので観光時間が確保しにくい時間帯の便はより空いていることが多い。
しかし、新千歳から大阪へ行く便は適当な便の空席は少なく(あっても3列席の真ん中とか)、新千歳から羽田に飛び、羽田から伊丹行きに乗り継ぐことにした。札幌-東京便もどちらかといえば北海道へ来る観光客の利用が中心の路線なので朝早い羽田行きは空いている。そして、ビジネス客の多い羽田-伊丹便は、仕事で急に利用することになった場合でもすぐに席が確保できるようにという配慮からなのか割と席に余裕がある状態で飛ばしている(新幹線との競争上そうなっているのか?)。
5月29日、関西は快晴。伊丹空港の到着口から出る前に、羽田の乗り継ぎの際に買っておいたおにぎりをかじってから空港を出た。
烏丸で阪急電車を降り、四条烏丸近くのレンタサイクルショップで自転車を借りて真如堂へ向かった。
自転車は18時には返却しなければならないが、時間に余裕があったので真如堂に行く前に下賀茂神社に行った。意外と観光客が少なかった。
真如堂の駐車場にてこの日の足となった自転車を撮っておく(帰りがけに撮影)。
奥にかすかに見える屋根が本堂。御覧の通り、境内はそれほど広くはなく、車を降りた後歩く距離も長くはないし、車椅子を使うことは難しいが起伏はあまりなく、足が弱くなった人でもなんとかなる感じ。
木々の多くは楓で、本堂の前には桜もあり。右上に飛び出て見えるのは三重塔。
インバウンド客でごったがえしている有名どころの寺社とは異なり静か。
奥の建物は三重塔。
上も真如堂の境内。京都のあちこちのお寺には市中の各地にあったお地蔵様が集められているところがあるようだが、ここもそうなのだろうか?
真如堂本堂の裏手。木はほとんど楓。
これで目的は達したので観光終了を終了し、早目の夕食。ちなみに、自分は母と一緒にいたときと変わらずかなり厳しめの感染対策を継続しており、飲食店の利用は屋外もしくは客の極めて少ない時間帯と決めている(家にいるときは基本外食はしない)。また、ラッシュ時には電車などには乗らないし(どうしても移動しなければならないときはタクシー、東京ではシェアサイクルも利用)、飛行機も空いている便を選んで利用している。
5月30日、最近恒例になっている早朝散歩に出た。
前々日から前日朝にかけての大雨のため増水した鴨川。近年、京都に泊るときは早朝に鴨川を渡って、八坂神社や清水寺方面に散歩するため、四条河原町に泊ることが多いのだが、この日は、八坂神社や清水寺までは行かず、建仁寺まで歩くのにとどめた。
上の写真は建仁寺に向かう道から北方向(祇園)を見たところ。昼間はインバウンド観光客でごったがえす場所だが、早朝はこんな感じ。
上は建仁寺境内。
上は高瀬川とサギ(?)。小魚をとるところを見ることができた。
さて、自分の中で京都は気合を入れて何日も歩く場所ではなく、ちょっと散歩したいだけの場所になっており、そんなに観光意欲は湧かないが、飛行機は午後なので(関西から北海道観光に行く人で積極的に午後の便を使う人は少ないので空いている)、ちょっとどこかに行く時間はある。
人の多い場所は嫌なので、空いているだろう場所にあたりをつけてホテルを後にした。
行った場所は万福寺。
上は斎堂(食堂)前の回廊に吊されている魚梆(ぎょほう)という時を報ずるための魚板。
JRの黄檗駅から奈良まで行き、昼食をとってから(うまい具合に屋外で食べられる場所を見つけられた)、さらにJRで関西空港まで移動して新千歳行きの便に搭乗した。
サンガ・スタジアムを見てきた
故あって実家への張り付き状態が続いているが、4月13日(水)、何とか調整して2年前の3月に行くことにしていた、京都亀岡にあるサンガ・スタジアムを見てきた。
試合はルヴァンカップのグループ・ステージ、京都サンガvs北海道コンサドーレ札幌の試合(結果はコンサドーレが2点先取したものの、3点取られて逆転負け)。
思えば、コロナ禍がひどくなる直前の2020年1月末だったか、その年の3月に亀岡にできたサンガ・スタジアムで行われる予定だった京都サンガvsFC琉球の試合を見に行くことを決め、旅程を決めていた。
FC琉球には、以前コンサドーレに在籍していて、好きな選手だった上里一将と上原慎也がいたので、この試合を選択した。
しかし、コロナ禍が広がりJリーグの試合も延期、Jリーグが再開されてからも、相変わらずの感染状況や、実家への張り付き状態が強まりのため、サンガ・スタジアム見物は実現できずにいた。
たっぷりと時間をとって遠征できる環境にないことには変わりはないのだが、調整の結果、昼すぎに新千歳を出る便で伊丹へ飛び、亀岡へ移動。そして、試合終了後、大急ぎで京都駅に移動して、新幹線で東京まで移動して、東京の家で1泊して翌日、東京での所用を済ませ、午後の早い時間帯に札幌に戻るというスケジュールを確保することができた。
伊丹空港(大阪空港)から亀山へのルートは、モノレール、阪急線を利用して嵐山(阪急)まで出て、そこから徒歩で嵯峨嵐山駅まで行き、JR山陰線を利用するということにした。
今回の遠征では観光要素はほぼないのだが、少しでも、嵐山、嵯峨界隈の風情を味わおうというわけある。
サンガ・スタジアム(上の写真)は、サッカー専用スタジアムで、とても見やすく、客席はすべて屋根で覆われていて雨の心配もなく(風が強い時は屋根の端側の客席は少しは濡れると思われるが)、駅からも近いという、かなり理想的なものだった。
ただ、スタジアムが満員の観客で埋まった場合、試合終了後、亀岡駅が客をさばききれるのか? という点が若干気になった。まあ、このことはどこのスアジアムでも多かれ少なかれあることなのだけれど。
ちなみに、この日の観客は3000人台で、かつ帰りを急ぎ、試合終了のホイッスルを聞く直前に席を立ったため、それほどの混雑には巻き込まれずに済んだ。
胆振線喜茂別駅の写真
ここ2年くらい、古い写真・記録などの整理・発掘をしているが、そのなかから1986年の秋に廃止された胆振線の写真が出てきた(プリントは残っておらずフィルムをスキャンしたが運よくそこそこの状態だった)。
鉄道旅行はけっこうしていたのに鉄道写真はほとんど撮っていなかったのだが、たぶん、この年で胆振線は廃止されることになっていたし、この日は天気が良く、羊蹄山をバックにした写真が撮れそう、ということで出かけたのだと思う。
金のない学生で車などはもちろん持っていなかったので、鉄道を利用して行ったのだと思うが、どういうルートで行ったのかは皆目見当がつかない。
また、なぜ喜茂別駅だったのか?
この駅から羊蹄山がよく見えるという情報があったのだろうか?
写真をみてわかる通り、残念ながら羊蹄山の上の方が雲で隠れており、期待したような写真は撮れなかったが、今となっては貴重なカットであり、行っておいてよかったと思う。
飛行機から見た冬の富士山
先週の月曜、所用で札幌・東京を往復したが、晴れており、かつ空気が澄んでいたので、富士山がよく見えた。
東京湾越しに見た富士山。手前に千葉マリンスタジアムと思われる円形の建物が見える。
上は羽田空港を離陸した直後に撮った写真。
北大構内の木漏れ日とか
先日、天気がよいので自転車で北大まで行った。
木漏れ日がいい感じだったので、何枚か写真を撮った。
上の写真は中央ローン。
水の流れはサクシュコトニ川のもので、水源が枯渇して流れがなくなっていたが、再生事業によって2004年に復活した。
上の写真も北大構内。
構内の外れの方にある陸上グランド。青空が綺麗だったので1枚。
新千歳空港着陸直前の機内からみた雪景色
写真は新千歳空港着陸直前の風景。
雪景色自体は珍しくもなんともないが、11月20日というのはちょっと珍しいかもしれない。
ところで、昨冬は、新千歳空港の雪に対する弱点を露呈したが、果たして改善されたのか?
もともと千歳のあたりは、もう少し北(札幌方面)よりも降雪量が少なく、比較的大雪の被害が少なかったのだけれど、ここのところの新千歳空港における発着便の急激な増加には対応しきれていない感じがする。加えて今年からの発着枠の拡大で離着陸も増えているかもしれないので(具体的な数字は知らないのですが)、多めに雪が積もったときはどうなるのか? とても心配。
ハート型ため池
先週末、コンサドーレの応援のため広島へ飛んだのですが、広島空港に向けて高度を下げていくなかで見られたハート型のため池(たぶんため池)。
いい年をしたおっさんが、こんな画像をアップするのは気恥ずかしい感じもしますが(笑)、面白い絵ですし、周囲の田んぼも綺麗なのでアップすることにしました。
函館経由での帰札
相変わらず東京、札幌往復生活を続けています。
いつもならば、羽田から新千歳に飛んでしまうのだけれども、今月初旬の帰札の際、函館まで飛行機を利用して、函館-札幌はJRを利用した。
写真は着陸する直前に撮った写真で、わかりにくいと思うけれど、五稜郭。ちょっと背の高い建物は五稜郭タワー。
実は今年の初め、たまたま見たテレビ番組で昔の同僚が映っているのを見て、「久しぶりで会いに行こう」と思ったのだ。
なかなか函館経由札幌行の予定を立てられずにいたのだが、この前、ようやく実現した。
昔の同僚とは、新採で赴任した道東のとある高校で同僚だった人物。
僕は新採2年に満たない時にあっさりやめてしまったので、勤務した高校はその1校だけで、濃密な記憶が残っている。そして、同じ教科だったこともあり接することも多く、とても仲良くさせてもらったののが彼で、テレビ画面で、最後に会ってから25年ぶりくらいで彼の姿を見たとき、会いに行こうという思いが湧きあがった。
前もって連絡することはなく突然訪ねるという形をとった。
で、首尾よく再開し、少しだけ話をして、札幌へ向かった。
忙しいなか、相手をしてもらって感謝している。
上の写真はJR北海道の特急で読める車内誌で、今回、札幌へ向かう特急北斗の車内で読んだもの。
去年3月のダイヤ改正までは、札幌-旭川間を走るカムイだったかスーパーカムイだったか、一部の列車が新千歳空港まで走っており、その区間は快速エアポートとして運行されていたので、その車内で件の車内誌はよく読んだ。
とくに好きだったのが、小檜山博さんという作家のエッセイ。たんたんとした文章で、特に、氏の子供ころ、若いころの回想を書いたものが、何とも言えぬ味があって好きだった。
ダイヤ改正以後、快速エアポートでは読めなくなっており、道内の特急に乗ることもなかったので、久しぶりで小檜山氏のエッセイを読めてうれしかった。(単行本にもなっているようなので、そのうち手のとってみようかとも思っている)
日田彦山線沿線の棚田を見に行ったのだけれど。。。
先週の土曜、鳥栖のベストアメニティ・スタジアムで行われた、コンサドーレとサガン鳥栖の試合を見に行った(応援というのはおこがましいので観戦ということで)。
試合は残念ながら0-1で敗戦。
で、翌日は例によって観光。
そこに行くのを第一目的にするほどでもないが、コンサドーレとセットならば、という場所がけっこうある。
この日の目的は、日田彦山線の沿線、福岡県東峰村の棚田。
鳥栖戦の後は久留米に一泊し、そこから久大本線で日田に移動。日田の街を少し観光してから、めざす棚田の最寄り駅である筑前岩屋へ。
車窓から棚田っぽいのが見えたので、列車を降りたあとはそちらの方へ歩いて行った。見えてきた棚田は下の写真のようなもの。
う~む、それほど棚田・棚田していない。
しかし、それもそのはず、有名な東峰村の棚田はここではなく、駅を出て山の方へ歩いていかなければならなかったのだ。このことは帰って来てから知ったが、ろくに調べて行かないからこういうことになる。
この次の九州遠征でもう一度訪れなければ。が、今年のJ1、九州のチームはサガン鳥栖のみなので、来年以降へもちこし。
写真のような棚田だけでは物足りないので、めがね橋と呼ばれる橋を通る列車の写真を撮ることに。幸い、日田行きの列車がすぐに通る(一応駅の時刻表を確認しておいた)。
う~む、電線が邪魔である。しかし、幾分鉄分はあるものの、それほどでもないので妥協。
しかし、この写真を撮ったあと、その辺をさらに歩いてみると、電線の見えない場所が。そして、そこにはベテランの撮り鉄さんが2人いて、立派な機材を撤去していた。一応、ここは鉄道写真のよい撮影場所らしい。
綺麗な花(何という花だろう?)が咲いていた。
ちゃんと棚田観光ができなかったのは痛恨のミスだったが、晴天の下、よい気分で歩くことができたのでよしとしておくか。
新千歳から羽田へ向かう機中から(羊蹄山・富士山)
12月3日、夕方、新千歳から羽田へ飛んだ。
この季節にしては珍しく南方向へ向かって離陸(冬は北風が基本なので、北へ向かって離陸する)。
天気もよく、それほど高度が上がらない状態で、右手に羊蹄山が。
手前の白い雲のようなものは支笏湖で、その奥に蝦夷富士と呼ばれる羊蹄山が(高い山)。薄っすらと霞がかかったような感じで、コントラストが乏しく、ちゃんとピントが合わなかったか?
東京に近づいていくと、今度は富士山が綺麗に見えた。
日没直後で、オレンジ色から深い青までのグラデーションが何とも言えぬ。
窓ガラスに機内の様子が写り込んでしまったのが残念。
冬場は空気が澄んでいるので、夕方に新千歳をたつ羽田行便を選択し続けると、こんな景色を見られるチャンスが多そうだ。
田んぼのある風景ー田染荘(大分県)・稲渕(奈良県)
ここ数年来、マイブームになっているのが田んぼのある風景。
2010年の春、中国雲南省元陽を訪れて以来続いている、ちょっと長いマイブーム。
ちょっと衰えかけていたのだけれど、この夏、元陽に再訪して以来また盛り上がってきた。
この秋もコンサドーレの応援(観戦)のため、あちこちへ行っているのだが、ついでに綺麗な田んぼを見てきた。
上の写真は田染荘(たしぶのしょう)。宇佐八幡宮の荘園の一つだったところで、湧水、土地の形状をいかした一枚一枚の形がふぞろいな水田など1000年前の姿を今にとどめているとされ、国重要文化的景観や世界農業遺産に指定されている。
上は、明日香村稲渕の棚田。元陽のスーパー棚田とは比べるべくもないけれど、なかなかよい。
上の2カ所とも、そのうち旅行記をアップする予定です(いつになるかはわかりませんが)。
久しぶりの広島
参議院選は、改憲勢力にかなりの議席を取られてしまったが、野党共闘が功を奏した部分も大きかったと思う。
さて、仕事で、かなり久しぶりで広島にやってきた。
で、少し早めの飛行機に乗り、仕事前にちょっとだけ平和記念公園に行ってきた。
修学旅行の中学生(だとおもう)が、課題か何かなのだろうか、外国人観光客に対して英語で取材(質問)している様子が微笑ましかった。
熊本震災被災地支援ボランティア
昨日、日帰りで震災被災地支援ボランティアのため熊本へ行って来た(写真は阿蘇熊本空港着陸の直前-ブルーシートがかけられた建物が多い。)
NGOの活動の補助などのボランティアはしたことがあるだけれど、自然災害にあった方々を現地で直接支援するという活動は初めである。
震災発生後、熊本へ行こうとは思ったものの、①雨天時は活動に危険が伴ったり制約を受けるためボランティアが募集されなかったり、その数が極端に減らされること、②応募者が多い場合、ボランティアの受付が打ち切られる場合があること、③自分は東京居住のため移動にかなりのお金が必要になること、④宿泊施設の確保がかなり難しいということ等々、色々と問題があった。
③については、東京-札幌往復生活や海外旅行で稼いだマイルがたくさんあるので特典航空券が使える。ただし、それで単純にOKかというとそうではなく、①がかかわってくる。自分の行ける日に特典航空券を確保しても(特典航空券の予約は4日前までに完了する必要がある)、活動予定日の天気予報が悪くなった場合、予約の変更は可能だが、4日後以降の便にしか変更できず、また、天気の動向を気にせねばならない。被災地支援ボランティア参加の目的で特典航空券を予約する場合、4日前という限定をはずしてくれるとうれしいのだけれど(ボランティア活動証明書を事後に提出という条件をつけるなど方法あると思うがかなり煩雑ですね)。
さて、色々と問題はあったのだけれど、連休が終わってボランティアが足りなくなってきたという情報があり、自分の行けそうな日の週間予報は曇り、特典航空券には空席あり、ということでまずは航空券を確保した(宿泊は難しいので日帰りで)。
その後、毎日天気予報をチェックしていたが、段々と良い方へ変化し、今週の初めには予報は晴れに変わった。最高気温が29度くらいになるというが、その程度ならば問題なし。
次にどこで活動するかを決めなければならない。ボランティアを募集している被災地は沢山あり、どこに行こうかと色々考たが、ちょっと人手が足りていない感じ、空港からタクシーで行ってもそんなに高額にならず、活動後は徒歩で空港に行くことが可能ということで、西原村へ行くことにした。
で、昨日(19日)、予定通り早朝便で熊本へ飛び、タクシーで西原村のボランティア・センターに移動。そして、オリエンテーションが行われた後グループ分けされて村の3箇所に置かれたサテライトへ移動し(車で送ってくれる)、そこでさらにグルー分けされて、支援を必要としている場所へ移動して活動した。
上の写真はサテライトで撮ったもの(被災者支援に専念していたので、現地の写真はほとんど撮っていません)。
活動翌日の今、背中と指がかなり痛い。普段、背筋や握力などは全然使わない生活をしているが、被災者の家の中の使えなくなったものや、倒壊しブロック塀のブロックをトラックに積み込む際、かなり背筋と手先の力を使ったらしい。
雨の鎌倉
少し時間がたってしまったが、先々週、台風の影響による雨のなか、鎌倉へ行ってきた。
実は7月に青春18きっぷ(全国のJR線の普通列車が1回あたり2,370円で1日乗り放題で、1人で5回分または5人までのグループで利用可能)を買ったのだが、なんだかんだで時間がとれず、使い切れずに2日分残っていたので、その消化の意味もあっての鎌倉行きだった。最寄りの駅から鎌倉往復では2370円には達せず、また、有効期間の最終日だったので1日分残ってしまったが、5000円分以上使った日もあるので、一応もとはとったが、もう少し計画的に使うか、ある段階で全部使うのをあきらめて、金券ショップで売却すればよかったかもしれない。
鎌倉に着くころには雨は小降りになっていたが、それまでの大雨のため、観光客はあまりおらず、静かななか2~3の寺院のなかを散策することができた。
写真は北鎌倉からすぐのところにある円覚寺の山門とそこへ続く石段。
これも円覚寺。
江戸時代の縁切寺(駆込寺-江戸時代、強制結婚・夫の不身持に悩む女性を助け離縁の権利を与えた寺)として有名な東慶寺。深い緑の中にたたずむ仏像が印象的だった。
ロアッソ熊本戦→南阿蘇観光
23日、うまスタ(うまかな・よかなスタジアム)で行われたロアッソ熊本戦観戦のため、熊本に遠征した。
札幌はもう数えるのも面倒なくらいの試合で勝てておらず、無得点試合も何試合か続いている。しかし、不思議と勝てないから見に行かないという感情は沸き起こってこない。まあ、一種の病気である。
それから、ここだけの話だが、J2リーグは観戦旅行が楽しい(J1のチームはあまり面白味のない都会を中心に分布しているが、J2のチームの立地は本当にバラエティに富んでいる)。
ところで、この日のキックオフは18時で、阿蘇熊本空港15時少し前到着の便で行ったのだが、スタジアムへ向かう前に、熊本市街に出て、ちょっとだけ安保法案に反対する集会・デモに参加した。当日は東京でかなり大規模なデモが行われたのだが、そちらに参加できなかったので熊本で頭数になろうということで参加したのである(この日は全国各地で抗議行動・デモが行われた)。
キックオフに間に合わせるため、17時ころにはデモから離脱して、バスでスタジアムへ向かい、キックオフ直前に到着。冒頭の写真は、アウェイ席に落ちついた直後に撮ったもので、向こうに見えるユニークな建築物はパークドーム熊本(屋内運動場)で、なんでも浮雲をイメージしたデザインだそう。
さて、試合だが、実に久々の得点シーンを見ることができたが、あっさり失点して、その後は両チーム得点なし。また、引き分けに終わった。
翌日は台風が接近するなか、天気がもつかどうか心配だったが、予定通り、山都町というところにある、通潤橋(つうじゅんきょう)を見に行った。(途中から小雨が降ってきたが、台風の大きな影響は受けずに観光することができた)
通潤橋は幕末に建造された水道橋で、これによる灌漑で広範囲で多くの水田が営まれているということだ。
通潤橋へのアクセスは車がないとけっこう不便で、熊本市内からは路線バスで1時間半くらいかかり、本数もそれほど多くはない。しかし、路線バスの旅というのも、なかなか楽しいもので、タレントが路線バスで日本各地を旅するという類のテレビ番組が人気なのもわかるような気がする。
V・ファーレン長崎戦→平和祈念式典
土曜日(8日)は、我がコンサドーレ札幌のV・ファーレン長崎との試合を観戦のため、諫早市にある長崎県立総合運動公園陸上競技場へ行った。
ここずっと勝利がなく何試合か得点すらない札幌だが、この日もスコアレスドローという結果に終わった。ただ、ここのところよりも好機は多く作れており、少しは光明が見いだせる内容だった。
さて、翌9日は、長崎に原爆が投下された日で、この日の東京ー長崎便には、平和祈念式典に参列する国会議員が搭乗していたり、長崎からの放送のためTBSのサンデーモーニングの出演者も搭乗していたりで、特別な日の長崎訪問だった。
原水爆禁止世界大会も開催されており、かなりはやく旅程を決めたのにもかかわらず、ホテルがとれず、この日は大村泊となった。
長崎は学生時代以来、かれこれ4度ほど訪問しているが、このタイミングでの訪問は初めてなので、9日は「被爆70周年 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」に参列することにした。
式典の入場は先着順ということなので、8時少し前の列車で大村をたち、浦上から市電に乗り換え、9時半ころ、式典の会場である平和記念公園最寄りの停車場である松山町に到着。
会場への坂道(エレベーターも併設)をのぼり、会場入り口の方へ向かうと長い列(行列の原因は保安検査)。
式の開始時刻(10時35分)まで50分くらいあるが、すでに一般の参列者用の席はいっぱいで、酷暑のなか立って待つことに(もちろん式典も立ち見)。一応、木の下に立っていたが、葉がまばらで日を効果はあまりなく、汗だくになりながら開式時刻を待った。
式典では3度合唱が披露され、いずれもとても心に響いたが、式典の冒頭の被爆者の方たちによって構成された合唱団による合唱の『もう二度と』の中にある「もう二度と作らないで わたしたち被爆者を」の一節では、思わず目からも汗が。。。(式典の後半には小学生の合唱があり、最後は女子高校生による合唱があったが、写真は最後の合唱)
被爆者の方々による合唱で始まった式典は、原爆死没者名奉安、式辞、献水、献花(ご遺族、三権の長、各政党の代表、諸外国からの来賓、参列者の代表らによる)を経て、原爆が投下された11時2分に黙とう(この時刻は絶対はずせないはずなので、ここまでの式の進行にはものすごく気をつかうのだろうなあ)。黙とうの際には長崎市内にサイレンが鳴り響いた。
このあと、長崎市長による「平和宣言」、被爆者代表の方による「平和への誓い」と続いたが、「平和への誓い」のなかで話された被爆時のお話しは、月並みな表現だが、心にずっしりと響いた。また、「戦後日本は再び戦争はしない、武器は持たないと、世界に公約した『憲法』が制定されました。しかし、今集団的自衛権行使を押しつけ、憲法改正を押し進め、戦時中の時代に逆戻りしようとしています。今政府が進めようとしている戦争につながる安保法案は、被爆者を始め平和を願う多くの人々が積み上げてきた核兵器廃絶の運動、思いを根底から覆そうとするもので、許すことができません」と話された場面では、会場全体から大きな拍手がわき起こった。(スピーチの内容を詳しく書けているのは、メモをとりながら聞いていたからではなく、式典参列者に配布されたプログラムに載せられているからです)
その後、小学生による合唱をはさみ、来賓の挨拶があり、最後は女子高校生による合唱となった。(11時48分ころ閉式)
テレビの中継でしか見たことのない式典だったが、現場に立ってみると、そこでしか感じられない空気感があって、とてもよい経験となった。
新緑の京都
先日、コンサドーレの試合の観戦のため徳島に遠征した帰りに京都に寄って来た。
徳島遠征の翌日時間が取れたので、紅葉の名所は新緑の名所とか何とかいう、JR東海のCMに影響されて、嵯峨野の紅葉の名所として有名な常寂光寺へ行ってきた。
嵯峨野自体は観光客であふれていたが、紅葉の季節以外は訪れる人が少ないようで(本堂が工事中というのもその理由か?)、ひっそりとした雰囲気のなか、境内を歩き回ることができた。
これも常寂光寺。
常寂光寺多宝塔。
嵯峨野の竹林。実は、最初ここを通ったときは、ものすごく混雑していた。
ということで、昼食時になるのを待って、再度行ってみることに。そうしたら、比較的静かな竹林のなかの路を歩くことができた。
シティライト・スタジアム→姫路城
先週の日曜日、コンサドーレの試合観戦のため岡山まで行ってきた。
会場はシティライト・スタジアム。この3月からスタジアム命名権が変わりkanko スタジアム(菅公学生服がスタジアム命名権を持っていた)から名称が変更されたらしい。
4月とは思えない暑さのなか、選手たちはよく走り、ファジアーノ岡山に攻撃の形を作らせず。札幌の攻撃ももう一歩というところだったが、ボックス近辺まではいいかたちが作れていたので、もう少し時間をかけるといい感じになっていくのではと期待させるものであった(このチームは、しばしばそうした期待を木っ端微塵に打ち砕いてくれるのだが)。
写真はファイン・ゴールを決めた宮澤とそこに駆け寄る選手たち。
試合前に訪れた岡山後楽園。
試合後は、普通列車で姫路へ移動。幹線なのだが、車窓にはのどかな風景が広がり、ローカル線的な雰囲気も感じられなかなかよかった。
姫路で一泊して、翌朝姫路城へ。修復工事が終了して公開が再開された天守閣は大人気のようで、登閣には整理券が必要。ただ、この日は平日、かつ朝ということでそれほどの混雑はなかった(休日はすごいことになっていそう)。
昔、現存天守閣めぐりに凝っていた時期があって(途中で関心が海外へ向かってしまったので、まだまだ未訪の現存天守閣があるが)、この姫路城も訪問済みだが、やはり、すごいの一言。石ならいざしらず、木造でこれだけのものが建てられるとは。そして、それが修復を繰り返しながらも、現存しているとは。
目黒川沿いの桜
昨早朝、目黒川沿いの桜を見てきた。
近くに住んでいるわけではないので、わざわざ電車を乗り継いで行ったかけだが、人通りの少ないなか、ゆったりと花を見ることができたので、こういう方法もありかと思った。
キロロ・リゾートでスキーをしてきた
先週、帰省した際、キロロリゾートでスキーをしてきた。
キロロには近年よく出かけるのだが、その理由は、規模が大きく、ゲレンデがバラエティにとんでいて、かつ、ちょっと滑ってくるのにちょうどよいスキー場だからである。また、標高が高いので、雪質もよい。
札幌の実家を10時過ぎに出て、JRで札幌から小樽へ移動、小樽からバスに乗り換え、12時半前には到着できる。札幌から直通のバスも運行されているが、これだと午前中に着いてしまうので、"ちょっと滑る"という感じではなくなってしまう。
12時半にスキー場に着いて、3時間ほど滑って、16時半ころの札幌行きのバスに乗るというのが、近年のお気に入りのパターン。
しかし、去年から大きな問題が。
短時間のスキー・レンタルがなくなり、リフト・ゴンドラ券も短時間のものがなくなってしまったのだ。
具体的には、(確か)おととしまでは、確か3時間というレンタルのパターンがあり、リフト・ゴンドラも3時間券があったのだが、去年からレンタルは最短5時間、リフト・ゴンドラ券も最短4時間になったのだ。レンタル(スキーセット、ウエアの両方)、の方は2時間くら放棄、リフト・ゴンドラ券も1時間くら放棄。う~む、もったいない。
そのような問題はあるのだが、朝早くから気合を入れて行かなくてもよい、ゲレンデ規模が大きく、バラエティに富んでいるという点は捨てがたいので、今回も結局、キロロを選択。
今年の札幌は、春の訪れが早く、気温も高めで、雪質はかなりダメ。
滑っていて、自分のスキーの腕が悪くなったような感覚に陥った(雪質のよいときにスキーの腕が良いような錯覚に陥っていたともいえる)。
さて、今冬のスキーは今回の1回で終了だが、来シーズンはどうするか。
早起きする元気があれば、往復のバス、リフト・ゴンドラ券、スキーレンタル(ウエアは除く)を含んだセット(かなり安い)という手もあるのだが。
滝川の菜の花
北海道は滝川市の江部乙(えべおつ)というところの広大な菜の花畑を見てきた。
ここの菜の花の作付面積は日本有数で、写真の画面の切り取り方によっては、本当に見渡す限りの菜の花となる。
満開になるのはだいたい5月末から6月初め。
この時期に北海道に行くことはあまりないのだが(行ってもコンサドーレの試合を見てすぐ帰京するというパターン)、実は、今年、長年務めた仕事をやめ(いきがかり上、若干の仕事を引き受けてはいるが)、次への準備期間ということで、時間がとれたので訪れてみた。
那覇の塩屋で自分の撮った写真と対面した
先日、沖縄に行った際、那覇の平和通りにある「塩屋(まーすやー)」に入った。
そうすると、なんと以前訪れたアンデス山中(ペルー)の塩田の塩を売っていて、思わず買ってしまった。
そしてもしかして、この店はあの時の塩屋さんの支店かもと思ったが、確信はもてなかった。
そのあと、国際通りを歩いていると、また同じ塩屋さんが。。。
ここにも入ってみた。すると、自分の撮った写真が展示されているではないか!
そうか、やはりこの店は以前、写真を提供した塩屋さんの店舗なのだ。
以前、宮古島の塩屋さんからHPの画像を使わせて欲しいというメールが来て、ウユニ塩湖の写真などを提供したことを書いた。
ただ、かなりの時間が経過するなか、その記憶もすっかり薄れていた(確か「こんな感じで使わせてもらいます」という画像入りのメールもいただいていたと思う)。
展示された自分の写真と対面して、むしょうにカメラに収めたくなった。
しかし、店内は撮影禁止。
店の人の許可が必要だ。
かなり躊躇して、いったん店を出て通りをブラブラして、やっと意を決して、「実は自分が提供した写真が展示されているので、写真を撮っていいですか」と尋ねた。
名前を確認できるものの提示は要求されたが、写真撮影は快諾してくれた。
今回の沖縄旅行最大の収穫だったかもしれない。
ちなみに、「塩屋」さんは東京にも進出していて、麻布十番とソラマチ(スカイツリーのあるところ)にも店舗があり、「麻布十番店にも、この展示がありますよ」とのこと。
北中城村の中村家住宅
先日、沖縄北中城村にある中村家住宅を見に行ってきた。
19世紀初め頃に建てられたといわれる豪農の住宅である。
公共交通のアクセスはとても悪く、とりあえず北中城村まで行けば何とかなるだろうと思って、那覇からバスを乗り継いで北中城村役場前まで行って、そこから歩いた。
少し歩くと、中村家住宅の向かいにある病院への案内板があったので、その方向へずっと歩いていくと、ありましたありました、中村家住宅が。
歩いた距離は2キロ半くらいか?
なかなか素敵な建物である。
目黒川の花筏
目黒川に花筏(はないかだ)なるものを見に行ってきた。
花筏とは、水面に散った花びらが連なって流れているのを筏に見立てた言葉で(別の意味でも使うが)、花筏見学クルーズなどどいうものもあって人気だという。
そのクルーズ船が行くらしいのが目黒川。
クルーズは満席らしいので、上から桜の花びらの流れる水面を見に行ってきた。
目黒川沿いの桜はほぼみな葉桜になっており、散った花びらもすでに流され、どうも花筏も最盛期ではないような感じだったが、流れの緩やかな場所では、ピンク色の模様が見られた。
花筏を見に行ったのだが、もっと面白かったのが鷺(だと思う)。
小さな魚がいるようで、水中にくちばしを突っ込んで漁をしていた。魚が小さすぎてよくわからなかったが百発百中だった模様。
流氷観光に行ってきた
流氷を見るため、網走へ行ってきた。
昔、少しだけ網走に住んでいたことがあるが、当時は、流氷は珍しくも何ともなく、じっくりと見たことはなかった。
網走を離れたあと、懐かしさもあって何度も訪れているが、そのなかで流氷が見物の対象となっっていった。
網走に着くと、まず、網走から釧網本線の列車(一両編成だが)に乗って北浜駅へ。いつものパターンだ。
すぐ横が海という立地なので、流氷が接岸すると間近で見られる。
天候に恵まれ、うっすらとだが遠くには知床の山々が望まれた。
もう少し空気が澄んでいることがあり、そのときは本当に絶景なのだが、この日の景色はなかなかのものだった。
北浜駅から少し知床斜里方向に歩いて行くと、踏み切りがあり、海岸に出られる場所がある。上の写真はそこから撮ったもの。
白い部分は流氷と言われなければ、それとはわからないかもしれない。
ちょっとでこぼこがあるので、普通の雪原には見えないが。
網走にもどり、初めて砕氷船オーロラ号に乗ってみた。
気温は高め、天気は晴れ、流氷はちゃんとあるという好条件。
1回の流氷観光でこういう状況にめぐりあえた、この日の観光客はとてもラッキーだと思う。
氷が切れているのは船が通った跡。遠くに見える陸地の先端は能取岬。
浄妙寺(鎌倉)のつつじ
先日、仕事で鎌倉へ行ってきた。
やや盛りはすぎた感じがするが、つつじが綺麗だった。
浄瑠璃寺の眠り猫
浄瑠璃寺本堂(阿弥陀堂)の縁側で熟睡する猫。
先々週の某日、急に思い立って奈良方面へ出かけてきた。
目的は猫ではない。浄瑠璃寺は九体の阿弥陀如来像が残る唯一の遺構として有名な寺で、阿弥陀如来像拝観が目的。
上の写真は浄瑠璃寺の本堂(阿弥陀堂)。
浄瑠璃寺へのアクセスはかなり不便という印象だったが、今は本数は少ないものの、奈良市内から急行バスが走っていて、30分強で行けてしまう。
ところで、今回の第一の目的は興福寺。南円堂と北円堂で特別公開されている諸仏像。
改めてじっくり見ると、写実的な慶派の彫刻はすごかった。
上は北円堂。
仏像が写ってしまうのだが、興福寺的にOKだったのだろうか?
みどりの山手線
珍しいものを見た。
懐かしい色だ。
今年も花見ラン
締め切り仕事に一区切りがついたので、昨日の午後、花見を兼ねて走ってきた。
気温も高めで、花の持つ癒し効果もあってホンワカした気分になって帰ってきた。
国会図書館の桜
仕事関係の調べ物のため、国会図書館へ行ってきた。
ここの桜はなかなかのもので、以前から花のシーズンにカメラを持って行ってみようと思っていたが、チャンスがなかった。
国会図書館での調べ物が必要になるときと、桜の満開時期が、そうそう合致するわけもなく、チャンスがなかったのだ。
で、ちょうど上手い具合に調べ物が必要になったので、カメラ持参で行ってみたというわけ。
竹富島へ行ってきた
1月中旬からちょっと体調を崩していたが、リハビリ(?)も兼ねて、竹富島へ行ってきた。
この季節の沖縄方面は雨が多いのだが、見事に雨にたたられた。
最大の目的地は4年ちょっと前に行き忘れた西桟橋。
しかし、空の色も海の色もさえず、よい絵は撮れず。
結局、シーサーとか花の写真を少しだけ撮って退散。
五山の送り火
京都へ五山の送り火を見に行ってきた。
16日午前中、原稿仕事の先が見えてきた。
そこで、ホテル予約サイトで京都のホテルの空室をチェック。
安くはないが、そう高くはない部屋が空いている。
すぐに予約して、11時半ころ東京駅へ向かって出発した。
3時前に京都到着。まず、何となく竜安寺へ向かった。石庭のある縁側に座って、蝉時雨のなか、ボーッとしたかった。真夏の竜安寺は蝉とともに閑古鳥が鳴いているイメージがあった。
しかし、さすが送り火の当日。まだ、まだお盆休みの人たちも多く、石庭に面した縁側が観光客がたくさん。思ったような感覚には浸れず。
その後、ホテルにチェックインして、ホテル近くのレストランで早めの夕食をとり、鴨川の出町柳駅近くへ向かった。随分前にここから送り火を眺めたことがある。何も下調べをしてこなかったので、確実に見られる場所ということで向かったのだ。
人でごった返すなか、待つこと30分あまり、20時、いよいよ如意ヶ嶽の大文字に火がともった。
大文字、妙法、舟形、左大文字、鳥居形の五山の送り火は、お精霊(しょらい)さんと呼ばれる死者の霊をあの世へ送り届けるとされる。
実は、今年、コンサドーレのアウェイの試合会場でずっと仲良くさせていただいていた老サポが亡くなった。アウェイのゴール裏の母ともいえるような人だった。しかし、仲はよかったが、住所の交換まではしておらず、そのご逝去を知ったのは、亡くなってから一月半くらいたってから。その方が住所交換をしていたサポに旦那様から葉書が送られ、そして、逝去の報が僕のところにももたらされた。
アウェイの会場で挨拶を交わして、会話をするのが遠征の楽しみの一つだった。
今シーズンのコンサドーレの状態は最悪である。ある程度予想できた状態ではあるが、彼女は草葉の陰から、どのように見ていらっしゃるのか?
送り火にカメラを向ける前、そっと手を合わせた。
珍しく羊蹄山が見えた
やっと仕事に一区切りがついたので、先週、帰省した。
で、最近、冬の帰省では半ば恒例となっているスキーへ。
今回の選択はニセコ・アンヌプリ。
ニセコにはいくつかのスキー場があるけれど、ヒラフはけっこうハードな斜面が多い。ニセコ・ビレッジ・スキーリゾートは行ったことはないが、やはりハードそう。ヒラフにしてもニセコビレッジにしても、初心者向けの迂回コースがあるが、これだとつまらない。アンヌプリはどちらかというと中斜面が多く、あまりパワーが必要ないというイメージ。
ということでのアンヌプリの選択である。
札幌からバスで行くと3時間かかってしまう。往復で6時間バスに揺られて日帰りスキーはちょっと、という感じなので、冬期に運転されているJRのニセコスキーエクスプレスで行くことにした。
終着のニセコ駅からは、ニセコビレッジ、アンヌプリへのバスが接続している。
用具はオールレンタルで、ニセコ・ノーザンリゾートでは3時間という短時間のレンタルもある。
やはりオージーはそれなりに来ているが、平日なので日本人の客が少なく、ゴンドラはどんどん乗れるので3時間で十分だった(残念ながらゴンドラ・リフトには3時間券はなく、一番短いのは5時間券だったか)。
ゴンドラ山頂駅からゴンドラの乗り場までは、コースによるが軽く2km以上はあるので、けっこう滑りではある。
ところで、今回の最大の収穫は羊蹄山。冬のニセコは降雪日が多く、羊蹄山はなかなかその全貌を見せてくれないという印象。
青空ではなかったが、美しい山容を見られたので、時間をかけて行ったかいがあった。
柿の季節じゃないけれど、法隆寺
仕事の合間を縫って、発作的に法隆寺へ行った。
前から、どこから撮ったのだろうと思いながらも、その場所を確認できなかった場所から撮ったのが上の写真。
法隆寺の西院伽藍(金堂とか五重塔のある方の伽藍)から、東院伽藍(夢殿ある伽藍)へ向かう途中の道からはずれて北へ行ったところに、その場所はあった。
ちょっと高いところに造られたため池があって、そのほとりから、民家に埋もれるようにして建つ法隆寺が見られる。
表から見る法隆寺とは随分違った雰囲気だ。
電柱がなければ、と思うが。。。
真夏の法隆寺はこんなに観光客が少ない(ときどき、客の波が訪れるが、少したつとこうなる)。
暑くてちょっとつらいが、柿の季節(秋)はこうはいかない。
路面電車のある風景とか、猫とか。。。
ここに載せることも考えて写真は撮ってあるのだけれど、ブログを更新する暇があったら、ホームページの更新が優先、そして、古いページのコンテンツの作り替えと、ここへの移動をしたい。しかし、なかなか進まない。一番の原因は仕事と、仕事のない時のコンサドーレがらみの遠征。
そこで、ちょっとたまった遠征がらみの写真をアップ。
上の写真は富山の路面電車。夏のリスボン以来、路面電車に注目するようになった。(いずれ札幌も撮ってこなくては)
うなづき温泉の宣伝が富山らしい。こういうボードを載せていない車両も走っているし、最新式の電車も走っている。
コンサドーレの試合が富山で行われたため行ったわけだが、試合の写真はなし。
上の写真は金沢。試合前日の夜遅くに金沢入りして、ほんのちょっと街歩きをしたあと富山入り。
金沢によった目的は街歩きではなく、飴。
俵屋という有名な飴屋があって、そこの飴っ子とかいう黄な粉を練りこんだユニークな飴が買いたくなったのだ(残念ながら画像はありません)。
最後の一枚は、札幌の実家の近くの猫。
近づくと逃げるし、飼い猫ではなさそう。
西日を浴びにいつも現れるらしい。札幌はもう寒いだろうから、今はどうしているか?
冬季五輪に影響されたわけではないが、スキーをちょっと
何年振りかでスキーをした。
札幌生まれ、札幌育ちなので、スキーはそれなりにやってきた。
大学受験を直後にひかえた時期にも気分転換と称して行くほどだったのだが、東京に住むようになってから、すっかりご無沙汰となった。
それでも、2年に1回くらいは、帰省したついでにニセコなどへ行っていたと思う。
しかし、数年前、原因不明のめまいを起こしてから、スキー場からすっかり足が遠のいてしまった。細かいターンがよくないような気がして。
で、今回の帰省だ。
当初予定していた旧友たちとの再会の予定が流れて、何のために帰省するのか、ほぼ飛行機に乗るためだけの帰省という感じになったので、そんな感覚を払しょくするため久しぶりでスキーでもということにした。
ひさしぶりなので、あまりパワーの必要なゲレンデは避けたい。しかし、ほぼ平らというような斜面も面白くない。
そんなリクエストにぴったりなのは、自分の知る限りではニセコアンヌプリ。
ということで、行ってきましたニセコ。
札幌からはシーズン中には、ニセコスキーエクスプレスなる臨時特急が出ており、約2時間でニセコ駅に着く。
3両編成だったが、何と指定車2両は満席、自由席もほぼ満席状態。昔はガラすきだったのだが。
乗客のなかにはオーストラリア人とおぼしき人たちの姿も。実は、僕の隣と、通路をはさんだ2席はオーストラリア人らしき家族づれだった。話したわけではないが。
ニセコ駅からニセコアンヌプリまではバスで移動。
すぐにスキー、ウエア一式を借りてゲレンデに出た。
リフト・ゴンドラ5時間券というのを購入して、さっそくゴンドラに乗りこんだ。1回1100円とけっこうな金額だが、5時間券は3800円。4回乗るともとをとれる計算だ。(結局7回のり十分もとはとった?貧乏性である)
ゴンドラは6人乗り。1100円もするだけあって、かなりの時間乗る。10分以上はのっただろうか。
一応外気からは遮断されているので、マイナス10度強の外気温ではあるが」、耐寒スキーにはならずにすむ。
めまいをおこしたのが7年前だから、スキーは少なくても8年はしていない。が、その割に滑れてしまう。体が覚えているのだ。
普段のランニングのおかげで、太ももあたりにかかる負荷にも十分耐えられる。筋肉痛も出なかった。
しかし、意外なところに筋肉痛が。。。腕である。ゴンドラに乗る際、スキーを脱いで、片手でつかみ持ちしながら、ゴンドラ乗り場の階段を上っていくのだが、これがかなりこたえた。
加えて、滑走中にボーダーに追突された。そんなに強烈な接触ではなく、双方とも大丈夫だったが、ぶつけられた時に、右肩を痛めたようだ。ということで、右肩がおかしく寝返りをうつと痛い。おかげで、ちょっと眠りの浅い日が2日間続いている。
しかし、オージーの多さにはびっくりだ。(たぶんオージー)
聞くところによると、ニセコの各スキー場にもっともアクセスしやすい町である倶知安の街の外国人が立ち寄るような店では、ちゃんと英語が通じるらしい。日本で一番英語が通じやすい街ではないのだろうか。
海外の観光地へ行くと、別にきちんと習ったわけでもないのに英語や日本語のペラペラな人たちに出くわすことがある。倶知安もそんな感じか? と思うと何となく興味深いものがある。ただ、倶知安のそういう人たちはちょっとした会話集みたいなものを使って勉強していそうだが。
今度は、英語でオージーと会話する、街の店屋さんのおばちゃんなどを観察しに行ってみたいとさえ思っている。
談山神社から明日香へ
15日は午前中から大阪で仕事。当日入りも可能な時間帯だったが、朝早いのはきついのと、ちょっと歩きたいところがあったので前日入り。
歩きたかったところとは、桜井市の談山神社から明日香への道。
一度歩いたことがあるのだが、ずいぶんと時間がたち、そのほとんどは忘れてしまった。ただ、坂を下りきったところに現われた明日香ののどかな風景がとてもよかったことだけは心に刻まれていた。
談山神社は十三重の塔が有名だが、今回、面白いと感じたのは、拝殿の下(上の写真)
拝殿からの眺め。少し早かったが紅葉も綺麗だった。
明日香へ抜ける道。
談山神社から石舞台までは、5キロくらいということだが、この先、一部はもっと細い道、というか獣道のような道。前日の雨のため滑ることこのうえなく、けっこう難儀した。
3時半に談山神社を出て、ここまで30分ほど。晩秋の太陽が急に傾いてきた。規模は小さいが棚田が印象的だ。今度はみのりの時期に来たいものだ。