前の投稿で、1991年夏、張掖(ちょうえき)という街に行ったことを書いた。
張掖訪問の目的はマルコ・ポーロも見たであろう大涅槃仏を見ること(マルコ・ポーロは張掖に滞在している)。
ウルムチからの列車で張掖に着いてすぐに一人の若い中国人に声をかけられた。
後から夏休みで帰省中の蘭州大学の学生であることがわかった(楊くん)。
とても親切にしてもらい、張掖の街を案内してもらい(もちろん涅槃仏も)、昼食を御馳走になり、さらには楊くんの実家で彼の母親手作りの夕食まで御馳走になった。
ちょうどこの日は彼が蘭州に戻る日で、その日の夜行列車で一緒に蘭州へ向かった。
蘭州に着いた後も色々と世話になった。
まず、蘭州大学の寮(だと思う)に連れていかれた。ずいぶん昔のことなので記憶はかなり薄れているが、最初に入った場所は寮の台所みたいな場所で、入ると唐辛子の強烈な香りにむせてしまったのを鮮明に覚えている。ラー油を作っていたようで、ちょうど唐辛子に熱した油をかけた時だっと思う。
その作業をしていたのは寮の料理人ではなく、彼の指導教官だった(と思う)。
楊くんは僕のことを指導教官に日本からの旅行者だと紹介した。しかし、紹介するだけではなく、何とその後、指導教官も一緒になって蘭州から北京への航空券の手配だとか、蘭州からの炳霊寺ツアーの手配などに力を貸してくれた。かなり濃密な時間をすごしたわけだけれど、中国ではこれに近い交流を何回か経験した。中国には何度も訪れているが、"人が好い"、これが中国旅行で感じた中国の印象の一つである。
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